陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2017-05-24

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もう一つ、繰り返し考えていること

「神のお心」

昔、正直言って「信仰」ということが分からなかった
言葉の意味は分かるのだが
その内実は、全く雲の中に隠れていた

しかし、陶芸を通じ
人生の歳を重ねるにつれ
神とは何か、神を信じるとは何かと言うことが
少しずつ分かってきた

願いを込められて、万象万物は創られていること
神と人間の関係と親と子や孫との関係と似ていること

もちろん、良い子悪い子普通の子というコントが昔有ったように
良い親、悪い親、普通の親が有るように
良い神、悪い神、普通の神がある

先日もイギリスで自爆テロが有り多くの犠牲者を出した

その実行犯が信じている神は、おそらく悪い神だ
神を語る偽物にだまされているとしか言いようが無い

なぜなら、同じく我が子である、多くの人々を
だまし討ちに合わせていきなり殺害するなどどのような神が許されるというのか
その実行犯は、死後、天国への門をくぐることは許されないだろう

たとえ、彼らが思っているように
テロで亡くなった人たちが
神を信じない間違い汚れた存在だったとしても
その様な子らであっても、神の子達である
テロ行為で人生修業の途中で理不尽にその命を奪って良いわけが無い

究極の神は、悲しいまなざしでテロリスト達を見られているに違いない
神のそのまなざしを感じたテロリストは、とうてい、天国の門を前にして前に進むことなど出来るはずが無いだろう。



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