陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2016-11-23

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KAZUYA CHANNEL GX の対談が興味深い

https://www.youtube.com/watch?v=XWog9cz0lSY&t=331s
ユーチューブでKAZUYAさんをよく見る
ほとんど同感できるのだが時々それは違うと思う意見もある。
「宗教」のこの話は、特に正しく見ていないようだ。

昔、私の友人にもチャネラーがいて一時期「いたこ芸?」をやっていました
しかし、とても危険なので半年ほどで止めました
隆法先生のそれは友人のとは比較になりません
説法の中身、心の教え、その洞察力などからもとても信頼しています。

ただ、このお二人は宗教を一面でしか見ていないようですね。
「宗教」を「たよるもの」「すがるもの」「安心安寧を得ようとするモノ」「御利益を求めるモノ」だけと見ているようです。

「宗教」にも、陰陽の両面が有ります
これらは、陽の部分であり、こちらからの「願い」でもあるが
陰の部分である、あちらからの「願い」をも見る必要が有る。

あちらからの願いとは、「神仏からの願い」
神仏といっても分かりにくいが
全人類を我が子と見ているような存在が私たちに何を願っているか想像してみることだ。おそらく正しい世界観を得て心を磨き、素晴らしい人生、素晴らしい社会を創りだして欲しいと願われているでしょう。目に見えにくいモノを見る努力をしないと本当のモノは見えてきません。

しかし、神仏と言ってもこちらからの願いを中心に見ているような人たちは、神仏をも自分たちの都合の元に引き落としてしまう
どのような聖典も、地に落とし踏みにじっていても気付かずに居る場合が有る

よって、神仏をイメージしにくければ、
人間の親の中でも最善で最高の親を想定してみるのも一手だろう
最高の親が、子や孫に何を願っているか考えるなら、神仏が何を思い子(人間)を創り何を成して欲しいと願っているのか推定が少しはつくと思う。



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