陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2016-10-13

Top / FrontPage / 2016-10-13

フラクタルの森」をどのように説明すれば良いのか?

フラクタルとは、数学用語ではあるが
文学的に表現するなら「部分は、全体と相似形を成す」ということだ。
「部分は、全体と似ている」
実際のフラクタル図形を見ても理解しにくいだろうが
文学や映像など色んな事が比喩で表現出来たり
たとえ話が成り立つように
そこには何らかの共通したものが有るということだろう。

では、どこがどのように似ているというのか
http://matome.naver.jp/odai/2132659831035762501/2135816806386261703

宇宙、世界、社会とはこの映像のようなものだと、私は考えている。
ミクロとマクロは似ているということだ。

私の作品の多くの底には「玄」のサインと渦巻き模様がある
この渦の形も陰と陽の関係であり
私の宇宙観(世界観)を表現しているつもりだ

目に見えにくい「玄」なるモノが中心にあって
目に見える「明」なるモノを形作っている

これは紙の裏と表の関係でもあり
原因と結果の形でもある

目に見えている存在を支えているモノが、その背景に必ず在る
この陰と陽の法則は、比喩として全ての価値有る存在の中に
フラクタルとして在る

素粒子の世界にも細胞にも中心に核があり
顕微鏡の世界から天体望遠鏡の世界までつながっている
ミクロの世界からマクロの世界にまでその連鎖が繋がっていると言うことは
その中間に存在する全てのモノの中にも姿を変え同じ構造が在るだろう

一人の人間の中にも
社会の構造にも太陽系にもある
銀河の中にも中心にはブラックホールがあり渦巻いている
その銀河もさらに大きな宇宙を中心として回っている
どうやら全ての存在には必ず中心となる核(主なるもの)が有る
そして、中心となる意識(理念・法則)が有り渦を起こさせているようだ

その姿、その構造が意味するところは分からないが
ぼんやりと俯瞰すると、
この形の中に神の宇宙創造の神秘が隠されているのではないだろうか
この世の中には、この無限の連鎖が示すとおりに様々な神(主)が居る

出来るならば、
このグローバル化した世界、
小さな神様ではなく「地球神」の意識にまで心を合わせたいものだ
そうでなければ自己中心の思想宗教が蔓延し争いがいつまでも絶えないだけでなく
細胞レベルで周囲を無視し自己増殖を繰り返すとガン細胞になるように
小さな自己中の心が世界を醜くしていくことになるだろう
大いなる自己、
神仏と一体となった自己を目指したいものだ



コメント


認証コード(9109)

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

備前焼