陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2016-07-18

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波動とは

辞書で見ると色んな事が書いてあり今一良くは分からない
しかし、陰陽で見るとどうだろう
波動の事を考えると、反日教育をしている韓国・中国の製品を控えようと言う気分になる。

波を考える時、必ず2つの極がある
俯瞰して2つの極を考えると陰と陽がある

宇宙は全て陰と陽の要素で出来ているとは世界中で昔から言われていることであり
波動とは、生命の根元でもあるのだろう
宇宙創造の神の投げかけられた波動が全ての中に入っていると考えられる

陰陽の翻訳はいろいろあるが
フラクタルの森での見方は
陰は「思い」(動機・目的)であり
陽は「行い」(具体化・目標)である

シンプルに考えると一番重要なのは、創造の原点でもある「思い」
この思いは言い換えるならば「願い」でもある
この願いが全ての存在の中に含まれていると考えるべきだろう

その願いとは何かというと
スターウオーズの映画に出てくる「フォース」でもあるのだろうが
宇宙の根本仏の願いの一部を含んでいて
その願いと同調すると大きな波動となって奇跡的な力も発揮するのだろう

波動という言葉がもてはやされ
それに関する商品群もたくさん市場に出回ってる
確かに現代科学では証明できない力を発揮してくれるモノもある

備前焼の器であっても製品となる時に、
最後に加えられる波動は何かというと制作者の心の波動なのだろう

最初の作品の展示会に来てくれたおばさんとの会話で学んだことが有る
彼女は、霊的な感覚を持っていることは知っていたがオーラ、後光のようなものがコンスタントに見えるようなのだ

人だけでなく器からもオーラが出ていて、
同じ人間が造っていても作品によってオーラの強さが違うという
その原因は、なんだろうかとオーラの強さと造った時の記憶とを併せていくと
どうやら、無心で作っていたと思われる作品の方が光が強いのだ
どうも、人間心で念を込めたりすることは波動を弱めることにつながるらしい。
スポーツの試合でも日常の訓練の成果が最大に発揮されるのは、自然体で気分もリラックスしている時のようだが、これは、作品作りにも当てはまるようだ。

日常の心の波動は、その人の思想宗教に関わり自然体で発せられるものだろう。
悟性の中身が宇宙のフォースと同調するかどうかのようだ

これらの事から考えて、心が乱れている時には作品を作らないようにしている。
そして、考えるのだが、反日教育している国の製品を買うのは差し控えようとも思う。
その思想統制は恐ろしいモノが有るだろう
何も考えず無心に造られていたとしても
無意識であってもそのインプットされた「思い」は具体化されて「現象化」する
その製品を使っていて良い結果につながることは無いだろうと考える。
おそらく、悪い波動を発していて健康にマイナスしてしまう場合や
運勢を悪く刷る場合も有るだろうと思う。



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