陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2016-07-01

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社会保障の充実を政府が目指すべき目標とはしてはならない

選挙戦で出ている意見が社会保障費の財源に関することが多いようだ
いろんな意見の中に有る大前提が
政府が社会保障を充実させる必要が有るとする点
ここを疑ってみるべきではないだろうか

政府が目指すべき目標は、政府が社会保障のことなどに力を注がなくてもいいように
民間レベルで処理できるような社会を造ること。
ではどうすれば、年金や医療、介護、生活保護に関して政府が力を入れなくて済むようになるかと言えば

①景気を良くすること
②道徳教育(修身・教育勅語など、できるならば基礎的宗教教育を
      断じて唯物論、無神論教育をして宗教心、信仰心無き国民       を造るべからず)
とりあえず、一番重要なのが社会全体の景気を良くする事です

政府が景気を良くすることに力を入れず
国民の国家に対する依存心を強めさせ国家の権限を強め政府の組織を太らせてはなりません。

社会全体を弱体化させて置いて
その責任を取ることなく、困っている人たちに手をさしのべる姿を一生懸命に見せようとする
選挙の時など、税金として巻き上げた資金でバラマキ(賄賂)をして自分たちの立場や権力を盤石なものとしようとする

マッチポンプというマスコミに対する言葉も有るようだが
自分の力で弱らせておいて自分たちの力で救いに入る
政府機関も公共機関も、知らず知らずのうちにそのようなマッチポンプという
愚かな事をやってはいないか、疑ってみる必要が有る

経済の流れが良ければ、民間で全てが処理出来る事ではないのだろうか

そして、その経済の力が社会的弱者に向けられやすくする
そのような制度の工夫や充実も必要だし
強制的に徴税して社会的弱者に対する保証を政府がしなくても良いように道徳教育を充実させることでもあるだろう

フラクタルの森で言うところの
前提認識を修正する必要が有る
基礎部分の見方を間違えると、どんなに良かれと思って
政治をやったところで間違った結果しか出ないからだ

「何を・何故・どうやって・どうしたい」の4カ所を
「何を」に「社会保障」を入れて埋めてみるべきだ

そうすれば
「何故」   ・・・愛しているから
「どうやって」・・・社会の持っている力で
          (難しい場合は政府のもっているセーフティーネットで)
「どうしたい」・・・社会全体の幸福実現

更に世界観の「いつ・どこで・誰が」の所を埋めてみるべきだ
ここを間違うと全てが狂うことになる

結局、色んな意見の違い、対立の根源は
この世界観の違いから来ているからだ

「思想・宗教」この真理の探究なくして根元的な問題解決は出来ないことになる



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