陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

与えられている時間

与えられている時間

時間論は、悟性の中身の最重要な要素
現実の、いつ、どこで、だれが(時間・空間・人間)が違っても
その善悪の判定に違いが出る場合があるように

私たちに与えられている時間とはどのようなものであるのか
この時間認識の違いで人生観は大きく変わることになる

下の図に現代人の時間認識の種類を羅列してみた
この時間認識の違いによって、その人の人生観は大きく変わらざるをえないのだ

私は、30代の後半に実際はどうなんだろうと
とことん考えたことが有る
図のように複雑に分類したのではなく
単純に死後の世界の有無についてである

白紙の上に「有る」と「無い」を並べてみた
死んだら終わりで後は何も無いのか
死んでも、自分としの認識できる存在は残るのか

想定問答を自分の中で繰り返してみた
死後は無になるのなら
結果の出ない努力は、いったいどうなるのだろう

死後も自己として認識できる存在が続くのなら
あまり無責任なこともできない
他者に対する責任だけでなく自分に対する責任も当然ながら出てくる
死ねば全てが終わりなら
死ぬ前にやりたいことはとことんやっても良いのではないのか
我慢するということは、単に臆病であり
度胸の欠如でしかないという見方も出てくる

結論は、「分からない」だった
しかし、「おそらく無いということはないだろう
どんな形か分からないが、無では絶対ないだろう」
という結論に至った

死後の世界や仏神の世界を証明しようと
弾圧されても頑張っていた人たちが歴史の中には存在し
その多くは、偉人として歴史の中にある

翻って、死後の世界を否定し証明しようとした偉人を私は知らない

エネルギー不変の法則やら作用反作用の法則
算数や、化学反応を見ても
原因有れば結果有り、因果は循環し
様々な科学的な知識を当てはめても
無いという結論は無理がある

しかし、なければ好都合だとも思えた
その方が、無責任にやりたいほうだいのことができる
死ぬ覚悟さえあれば、度胸さえあれば、なんでもできる

思考を停止させ死後の世界など考えない方がすっきりすると
多くの人たちは考えているのだろうか?
この前提の違い、世界の違いは
見間違えているなら、とんでもなく高い代償を求める事だろう

有ると思って、真実は無ければそれまでだが
無いと思って、真実、死後の世界があり連続性が有るとするなら
無いと思って無責任に思って行動した全ての事柄が
その両肩にのしかかるとしたらいったいどうすればいいのでしょう

結論、
①では断じて有り得ない
現時点での私の認識は、⑥になるでしょうか
現象世界で生きている自分と
あの世、心象世界で生きている自分(守護霊)と
遺伝子の2重ラセンと同じように
陰陽の2つのラインが交差している形ではないだろうか

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