陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2026-03-03

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私たちの存在とは何か?人生とは何か?

私たち個人が生きて存在し、様々なことを経験していること
この事実は否定出来ない


そして、その事実の諸々は記憶され、深い所で残り続けるようだ
その記憶が、あるタイミングで走馬灯のように瞬間的に見える事があるともいう
死後、三途の川を渡った後の審問されるような場面でも、その人生を振り返り、考えさせられるような機会が与えられるようなこともあり、その後の身の振り方が決められることもあるという
要するに、個人の人生ドラマが全て記録され、評価の対象となるようだ
そのデーターは、独り言であったり、心の中で思ったことまで残る
それをアカシックレコードというのか定かではないが、この宇宙のどこかにデーターベースとして残っているのは、間違いなさそうだ
その記録は、この地上のデーターセンタどころか、創造主、神さまの創られたそれには、創造を遥かに超えた緻密さが在るようだ
そのことを信じるということも信仰なのだろう

人間の親が、我が子の全てを見守ろうとしているようなものかもしれない
まさに人生ドラマであり、舞台劇をそれぞれが演じている事とも似ている
アカシックレコードに未来のことまで記録されているように舞台劇でもシナリオが設定されているようなものだろう
プラトンが、人生を映写機のように洞窟の壁に映し出されたようなものだと表現したように、映画や舞台劇のようなものとよく似ている
アドリブが加えられる余地があることで舞台劇の方が、より似ているのかもしれない

そして、舞台から降りると、その役から離れ本来の魂そのもので実在世界で創造主の一部として生きているようだ
あらかじめ決められたシナリオは有るけれど、強引にそのドラマの筋を変えようと思えば不可能ではない
まさしく、人生ドラマであり、多くの人たち、多くの事情が絡み合いながら紡ぎあげられた文明であるのだろう
中には素晴らしいドラマもあれば、そうでないものもある
ゴミ箱に入れてしまいたく思うものもある
人生の最終部分で起死回生を成し、一筋の光を放つようなドラマとすることも出来れば、その逆もある

神の決められた文明ドラマの中で、多くの人生ドラマを光り輝くものとして欲しい、その光の記憶を魂の宝として、その魂の一部としてもらいたいという創造主の願いが込められ、この宇宙自体も魂も創られているのだろう
全て、偶然に起こっているモノではなく、その光を生み出そうとして多くの者たちが創造されている

その中で、神は単なる監督であったり演出者だけであるのではないだろう
それぞれの出演者たちの中にあり、共に生きられているのかもしれない

正直言って、このことは凡人の私には想像する事でも困難な事ではある
しかし、私自身、日々、土塊から様々なものを生み出そうとしている努力を考えるなら、無限の力を持たれている存在にとって不思議な事ではないのかもしれない
それを、総裁先生は、一言で、この宇宙は、全て神の「愛」によって創られていると表現されている
その愛を人々は日々体験し、自分のモノとして魂を磨こうとしているのだろうと思う



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