陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

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Top / FrontPage / 2025-12-01

天文学の不思議

3Iアトラスのことを知ってから、これら天体のことに関して知らないことばかりだということを思い知らされる


ハレー彗星などのように太陽の周りを長楕円軌道で回るのではないという
恒星間を移動して通り過ぎるだけでその軌道が予測されず突如現れているものらしい
観測史上3番目に現れたために3という数字が冠されている
最初のそれは、オームアムアとかいう名前だそうだが、その時にも人工か自然の物かという議論が起こったらしい
ただ、自然という言葉の中に神々の意志が含まれているとするなら、同じことではある
神を人と同列に並べるべきではないかもしれないが、ダーウィンの進化論を信じている人々の感覚の中には、暗に自然と表現する中に神という概念を含ませているのかもしれない
ただ、神を分離し、天の意志を感じることなく、自然を偶然というレベルにまで落とし、思考停止を起こしていることには大きな矛盾を感じざるを得ない
神はサイコロを振らないという言葉があるように、偶然に出る結果が人の思い通りになるケースは極めて少ないはずだ
進化という目だけ出るわけもなく、それ以外の退化という目の出る確率の方が多い
進化は少しづつ積み重ねることでるが、失敗や退化は生命体であるならそれらをも無に帰してしまう事の方が多い
思いの力、意志の力を無視し神を亡き者として思考している証拠でもある
その方が都合よく感じている節がある
目障りな、思考の上にある存在を無視して人間を頂点とした論理で事足りるからだろう
その連鎖の上に自分自身を頂点とする考えが構築されている
自分を神に置き換えている

話は逸れたけれど、そもそも論だが、人類は古代から星のことに関して何故詳しかったのだろう
もちろん航海術に不可欠かも知れないし、夜、やることもないから星々を眺めていたからかもしれない
占星術などが発達した背景には、星の運航と地上の出来事と関連する不思議なことがあったのかもしれない

そもそも、原点に帰って考えるなら古代の人々に夜空を見上げ色んなことを考える余裕があったのだろうかと思ってしまう
結論を総合的に見るならば、この地上のこともこれら天体のことも深く関わっているのだろうと思われる

私たちの転生輪廻もこの地上だけに限らず全宇宙レベルで起き、魂レベルで深くつながっている為に起きている現象なのかもしれない
あたかも人体に置き換えて考えると経絡などで全体の各部位がつながり、部分の事が全体ともつながって影響しあっている為に人々の関心が太古より広がっていた可能性がある

この宇宙全体と人体ともフラクタルであるのかもしれない
神と人とはフラクタルであり似ている
意識も肉体も、宇宙に蔓延しているエネルギーとその姿と似ているのかもしれない



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