陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2025-10-03

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窯開け

窯の温度が100度を下回り開けそうです
新しく造った窯も29回をクリアしました
さすがにその傾向性をつかむことでコントロールしやすくなったようです


この大きな窯ももう一つある半分くらいの窯も、全て設計も制作も自分自身でしたことで良くも悪くも個性が有ります

今回の窯も順調に焚き終えましたが、作品の表情としてはどんなものなのかは出して見なければわかりません
ただ、いつも思うことは良い面も有れば悪い面もあるということ
その良し悪しの面も一面からの判定でしかないのであり、絶対的な価値を背景にしてはいないということ

作品の評価としては、目で見ての判断と同時に見えていない面の評価も有ります
それは、量子レベルでの評価とも言えるのかもしれませんが、粒子として目に見えている姿の評価と、もう一つ波動レベルでの評価です

どのようなモノでも波動としてのエネルギーを内在しながら粒子レベルでの存在の特性を持っているでしょう
そもそも、備前焼は証明はされていませんが水などに対する影響力があることは言われています
切り花などの寿命を延ばしたり、飲み物の味をマイルドにしたりします
その理屈がなにをもって効果を出しているのか解かっていません

うちの窯では、これまでに波動にこだわっている人達とのかかわりが強くあります
波動測定とか周波数測定とか有るようですが、細かなことは私には理解できていません
ただ、以前、大川隆法総裁先生の法話の中にあった内容が強く印象に残っています
それは、夫婦相和して造っているような窯の作品を使ってお茶を飲んでいれば、その恩恵は受けるということ
しかし、作品を造っている時の心境を人から聞かれることがありますが、別に何も強く念を込めて造っているわけではありません
ただ、普通に作業をこなしているだけです

昨日、保江邦夫氏のユーチューブでの話と偶然に見つけ、彼も尊敬するという政木和三氏の講演を見る機会も得ました
同じ岡山であり政木和三博士とは昔ですが個人的にも縁が有り、あるお寺で仏教を学んでもいました。
その保江氏と政木氏の話に共通していたのが、私的に結論を言うならば、神仏に対する願いには、執着から離れる必要が有るということ
このことを説明して理解してもらうには骨が折れそうですが、要するに強く願いさえすればその願いが叶うわけではなさそうだということ
逆のケースもあるということ
当たり前のこととして流れていく中に奇跡的なことも含まれるということ

この保江氏にしろ政木氏にしても、幸福の科学的には表側ではなく少し裏側に当たる仙人や天狗系統の力も働いているということで少し評価は低いのですが、しかし、とても分かり易く参考になる面も有ります

両氏の話しの中で共通するのが、神仏が願いを聞き届けるためには強く願いさえすれば届くという訳ではないこと
神仏への信仰心が不可欠なのだけれど、願いさえすれば叶うというものではないということ

おそらく、私の作品レベルから言うならば、どんな心境でそれらの作品が作られているのか、全ての状況を全て見られ認識され、良い所も悪い所も全て見られ、そこに込められている願いも全て織り込み済みで、全ての波動が絡みながら仕事をしているのが現実ではないだろうかと思う
死後、あの世で全てが明らかにされるように、その仕事に込められた波動が在るということ
その波動の総合評価が影響するのであり、付焼刃的に強く何か良き思いを込めたとしてもそれは大して良きことにつながらない
常日ごろ持っている心の波動が影響してくるのだろうと思う



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