FrontPage/2025-07-02
宗教とは何か?
最近、宗教に疑問を持っている。
というか、みんなが持ってる宗教という認識に疑問を持ってる。
皆さん、ご存じのように、幸福の科学という宗教組織に、末席ながら属していながら何を言っているのかという感じでしょう。
しかし、正直言って皆が思っているような宗教なら、私は大嫌いです。
なぜなら、フラクタルの森の陰陽の視点で見ると、目に見えやすい陽の部分しか見ていないからです。
宗教を課題(なにを)の中に入れて考えてみます。
多くの人が認識しているのが、結果としての幸福です。
御利益と言ってもいいでしょう。
確かに、その宗教に属して学び、信仰する以上、何らかの良き結果が不可欠です。その信仰が不幸を引き寄せるようなら、そんな宗教に属するなんてありえないことでしょう。
この図表では、分かりにくいかもしれませんが、一番左側の3か所で見るべきかもしれません。
宗教と言う以上、簡単に整理するならこの3か所に入るべきものが有ります。いや、宗教だけではありません。どんなものでも、人生でも、仕事でも同じです。
悟性、感性という右脳的所には、愛が不可欠です。
そして、知性、理性という左脳的所には、結果である幸福とかご利益です。
陰の要素である「思い」と、陽の「行い」。
言い換えるなら、原因と結果の要素です。
そして、もっと重要なのが「世界観」。
これは、別の言い方をするなら「真理」。
この世界観が間違っていると、愛が変質します。
同じ宗教同士なら愛し合えるけれど、他宗の者たちに対しては別問題となります。
ビジネスでも同じであり、どんな仕事にも愛が不可欠ですが、この真理に対して無理解だと、違ったものがありえます。利益を与えてくれる者に対しては愛が成立しますが、その利益を与えてくれないモノに対しては愛とは別物となります。
ご利益を与えてくれない者に対しては、愛と反対のモノとなってしまう。
要するに奪う愛となる。
強引に結果を奪うことになる。
これは、恋愛を例に持ってくるとハッキリしてくるでしょう。
その原因は、「真理」を間違えているからです。
宗教の種類の中に、私は、無宗教も入れています。
そして、一神教から多神教、更に至高神信仰などが在ります。
歴史上、様々な宗教が出て来て、偉大なる尊崇すべき教祖の影響があるときは、大丈夫であっても、時代や人や環境が変われば、その教えの中身を間違え始めます。
要するに始祖の意図している真理と離れ、得られる結果ばかりを中心にしてしまい、堕落して行きます。
イエスの教えにしろ釈迦の教えにしろ、真理に沿ったものだったのが、その教えが形骸化するのに多くの時間を要しない。
真理から離れ、思いの「愛」「慈悲」の教えからも離れ、どのような御利益を得ることが出来たかどうかになってしまう。
本来、宗教に不可欠なのは、悟性の中心の「真理」です。
私は、幸福の科学が宗教法人格を獲得したときに、宗教と呼ぶことに抵抗があった。
ただ、その頃は、その教えに「真理」を感じつつも、今、世間の常識と同じような間違った理解が私の心の中にもあったためだ。
理想は、宗教を議論したりするときに、陰陽の両視点と、真理の理解が不可欠である。だから宗教ではなく「真理」と言いたいところだが、これは、オウムによって利用されてしまった。
悪魔によって、宗教も真理という言葉も汚されてしまった。
確かに、この真理の獲得は、確かに難しい。
悟性の中心故に難しい。
せめて、あの世という「霊界」が在ることを理解するべきだ。
この真理を信じることが出来ず、間違ったモノを信じたならば、どのような宗教も成り立ってしまいます。
現実には、様々な理解があるだろうが、事実を集め、真実を求めた先に「真理」はある。
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