陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

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集合的無意識の中の自分

集合的無意識とは、スイスの心理学者カール・グスタフ・ユングによって提唱された概念で、人類全体が共有する無意識の層を指します。この無意識は、個人の経験を超えた普遍的な心の構造を表し、私たちが生まれながらにして持つ感情や記憶の基盤となっています。ユングは、集合的無意識が人生の意味を見出すものだと考え、個人的無意識と対比させて説明しました

ユングは潜在意識を氷山にたとえ、人は、その能力の水面上に見えている一部を使っているだけ、本来はもっと素晴らしい能力を持っていると見ていました。
現代、その潜在意識を使った引き寄せの法則とか、自己実現の法則のことが盛んになっています。
及川幸久氏の「ザ・スイッチ」「マネー・スイッチ」という成功の法則のの中でこのことを学びました。
この氷山のたとえが、それだけには修まらないだろうと考え、色々イメージしていると、私なりに、この宇宙の法則を次のように見るようになりました。

潜在意識
この図では、その氷山という潜在意識の中に神仏の意識もあれば、造物主の意識も含まれているだろうと考えています。
ただ、どのレベルまでつながることが出来るかということ。
本来、人には仏性や神性が宿っているといわれている事とも関わり、だれにも良心があると言われている事と繋がっています。
そのつながり方が、一人の人間の中でも神経組織で各臓器やそれぞれの細胞と繋がっているように、おそらく、細胞だけでなく全体の量子レベルのつながりがあり、量子もつれで言われるように、他の存在たちとも瞬時に情報交換がなされているのだろうかと思います。
人とと人だけでなく、神羅万象、自然界の全てと量子もつれ状態を起こしつながっている。

アカシックレコードと言われる、記憶庫がこの宇宙には在るように言われているが、それは、その量子レベルのつながりというか、もつれ状態の中で構築されているのかもしれない。
この中央に描いている一本の細い光の線が、どこにどのようにつながっているのかで、自分の肉体の内部だけでなく、周囲のどれだけの存在と繋がることが出来るかで、奇跡的な引き寄せや自己実現がなされているのでしょう。
自他一体の感覚の広がりが、実感を伴いどこまで認識できるかということ。

空海は、瞑想中に明けの明星が口から飛び込んできたと言われているように、宇宙即我の境地を実感できたのかもしれません。
大川隆法総裁からの学びで、宇宙即我の境地のことはお聞きしているが、とてもイメージすることは出来ません。おそらく、ユング自身もその境地を味わったことで、氷山のたとえを使うことが出来たのかもしれません。
私は、このユングの過去生は空海だと思っています。
その境地に一歩でも近づきたいと思い、この中央の一本の光の線につながりたいと、瞑想する時にこの図をイメージするようにしています。
ただ、しょっちゅうその光は揺れ動き沼地辺りをうろついているのが現状です。


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