陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2025-06-07

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犯罪の元にあるもの

道徳が廃れ、一般的商道徳もレベルダウンし、犯罪が広がりを見せている。
その雰囲気が、日常の中に入り込み、社会の雰囲気を暗くしているようだ。


多くの若者が東南アジアを拠点として特殊詐欺に関わり逮捕されているというニュースを耳にする。
それほど社会通念として、犯罪の意識のハードルが下がっているのかと思うと、その常識が一般社会の中に入り込み、他の犯罪まで押し上げている感がいなめない。
そのような状況が、あらゆる仕事の中に澱んでいる。
その原因はどこに有るのか考えると、行き着くところは、この図の中に発見できるだろう。

唯物論と唯心論

それは、各人の意識の中にある世界観
この世界観は、様々ある。
この思想、哲学、宗教観がその人の行動に大きく影響する。
唯物論から唯心論、観念論などがあり、霊界観、そして、人生観、死生観まで有り、その人の仕事観にまで影響する。

人生とは、言い換えれば、すべて仕事に関わるだろう。
収入に直接かかわらない学業も、家庭内の子育てなども、立派な仕事の一環である。
その「仕事」、そのレベルを支えるのは、左脳的な知性や理性のように思いがちだが、考えればわかることだが、その前に右脳的な悟性、感性がある。
この右脳的な「思い」をおろそかにして、左脳的な「行い」、そして結果ばかりにこだわっているようだと、本末転倒な事が起きて来るだろう。
政治や官僚たちの仕事、そして企業家たちの仕事の中に、更に一般家庭の仕事の中に中身が希釈されたモノばかりが増えて来る。

その原因は、成果、結果を支えるもの、その右脳的な基盤が弱くなっている為におかしくなっているのだ。
その仕事を何故しているのかという問いに対して、おそらく、収入の為、生活の為などと言う答えになるためだろう。
当然の答えではあるが、深く考えるなら、その下地に「愛ゆえに」、「お役に立ちたい」という道徳的な思いが有り、それこそが、その仕事の意義であり、それを実行する人の存在意義でもある。
それらが希薄になり、その仕事に関わる人と、それを受け取る人と同じレベルの表面的なことでしか見れない人たちばかりになると、その仕事で得ることの感謝とか、評価の流れが、本質的でないモノになってしまうだろう。
今回の備蓄米の安売りの件でも、米不足の本質を見ることなく、結果として安いコメを市場に出してくれたというように表面だけをなら、本末転倒である。

それもこれも、原因は、本質的な愛の不足であり、状況の観方の間違いである。あの大臣は、してやったり感でテレビに出ているが、農業行政の間違いだけでなく、意図的な需給バランスのかく乱で利益を得ようとする闇の勢力の駒として動かされているのかもしれない。
結局、結果を出そうとする闇の勢力や行政や、それに乗せられた庶民の同じ表面的な価値観の行動の循環の中で起きていることだと思う。
その結果、その未来に何が待っているのかというと、郵政民営化で起きたことと同じ状況が生まれ、多くの資金が外資の手中に入ることになるのだろうか。
ただ、コメ問題は、食糧安全保障にも関わり、国民が飢え、日本の主権を手放すことにもなりかねない。

極論を言うならば、どの犯罪でも、法律で罰せられないものであっても、根源にある問題は、深く考えないところに有る。
過半数の人たち、しかも、高学歴の人たちが、唯物論に染まり、あの世も神も信じていないことが、大きな問題としてある。

結局、表層にある「行い」の結果ばかりしか見ていない社会が悪事を育てている。
「世界」を見つめ、真理を探究する社会でなければ、理想社会は生まれてこない。
諸悪の根源は、ここにあるだろう。


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