FrontPage/2025-03-24
霊的人生観
霊的人生観が大切だと言われるが、その意味するところは何だろうか。
『霊的人生観』とは、目には見えない世界、霊界やあの世がある、という考えに基づいた人生観のこと。 人間の本質は霊的存在であり、その霊的な存在が肉体に宿り地上で人生修行を行っている。その魂は永遠の生命を持ち、転生輪廻を繰り返し、人生修行をしながら、魂(心)を磨いている。この人生観に基づき、この世とあの世を貫く「本当の幸福」を探求している。
この考え方は、昔からある仏教の考え方ですが、現代的にきちんとまとめられているのは「幸福の科学」においてであり、当然ながら、私の考え方もこの考え方に沿ったものです。
このことを私なりに理解しやすくしたのが次の図表たちです。
いつ(時間)、どこで(空間)、だれが(人間)を含んだ世界をどのように見ているかということが大切だということ。
この世界観が、それぞれの人生観にも影響し、その人生ドラマの中身にまで影響を与え、死後、天国に無事帰れるのか、それとも地獄で反省の時間が必要となるのか決まって来る。
大きく分けるならば、思想、哲学、宗教を持っているか、それとも、刹那的にこの世の常識に従ってのみ生きようとするのか。
もちろん、この世の常識の中で、良識として受け入れられているものは、伝統的宗教とか、習慣もあり、考え方も様々有る。
ただ、慣習としてボンヤリとしたものが多いだろう。
その一例として、友人の中には、あの世は何となく受け入れられるが、転生輪廻は信じられないという人も居る。
神さまは信じられるが、造物主をイメージすることは出来ないという人も居る。
要するに一律ではなく、認識とはそのようなモノではあるだろう。
そこで、ハッキリさせるために大きく分けたのが、唯物論・無神論と唯心論・有神論である。
ただ、私の陰陽学の中にあるように、唯物論と唯心論の分けらたものがあるのではなく、左脳的なモノと右脳的なモノ両方があり、3次元と4次元的なモノの両視点が必要だということ。
しかし、大きな問題となるのが、現代社会にはびこっている唯物論の視点で考えることです。
唯物論、この世界観で考えるために、神仏の視点ではなく神の居ない共産主義的なリベラル思想で考えてしまう。
神仏不在の為に、そこに優秀な人間(自分)が座ることになる。
その為に、優しさと厳しさが蛇行して、人々を堕落させたり、全体主義的な正しさがまかり通る。
要するに、神無き世界が辿るだろう道には、不幸が待ち構えている可能性が高いということ。
結局は、私たちが生きている世界は、次の図の中だと思う。
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