FrontPage/2025-03-20
聖書の中に書かれている事
正確に記憶していないけれど、イエスが、大衆によって石打の刑で殺されそうになっている場面で言われたことが強く心に残っている。
誨淫をした女性に対して大衆が石打の刑で殺そうとしているのに、一度もそのようなことを思ったことが無い人であるなら、その資格は有るかもしれないが、心の中で思っただけでも罪になるので、もし、そうでないならその資格はない。。
というようなことを言われ、処刑されそうな人を助けたことがあるという。
実際にそんな行為をする機会が無かっただけのことであり、状況がそろえば、思いの中に在る以上現実化していた可能性は十分に有る。
思いの程度も問題になるだろうが、軽く思うだけでもその道を歩きはじめる事であり、更に強く繰り返し思っていると、現実化する度合いを強めていく。
心で思うということの重要さを教えたものだろう。
私たちは、表面意識で機嫌よく生きているわけですが、そこでの思いは仏教で一念三千と言われるように様々ある。
なにを思おうと自由であり、天国的な思いも地獄的な思いも自由。
沼地に足を踏み入れることも、光の国に向かうことも自由。
それらの経験から学ぶことで魂の向上を図っているようだが、聖書に在るように、愚かな現実を経験して悔やむことも多い。
心の針をどこに向け、その思いを、どのように言葉や行為に現わすかも自由。表面意識が潜在意識まで動員して、自己表現しようとしているのだろう。表面意識が心の針をどこに向けるかで、潜在意識も動き出すようだ。
皆、誰しも、良かれと思い、その思ったものを引き寄せようとしている。
天上界から降ろされている細い光の道を歩くことが出来れば、現代社会で盛んな引き寄せの法則も安全に引き寄せることが出来るだろう。
ただ、造物主、神の思いを我が思いとすることは難しい。
ユングは、氷山の水面下の大部分が潜在意識としてあり、表面意識は水面上の一部であるということを言っていたようだ。
私は、その潜在意識とは、守護霊や指導霊だけでなく、神仏にまでつながり、造物主にまでつながっているものではないかと思っている。
そこまでつながり、それらからの協力を得て引き寄せられるモノは、様々あるだろうが、当然ながら、悪霊や悪魔につながり指導を受ける場合もあるだろう。そして行き着く先は、同じく地獄である。
最近、及川幸久氏の潜在意識の活用法の本から学び、実践している。
彼も、時折、大川隆法総裁を師匠と言われているように、総裁先生からの学びは、もっと深いものがあるけれど、及川氏は、より分かり易く簡便に教えてくれている。
私も彼の最初の自費出版された本から学び、「フラクタルの森 玄明 陰陽学」という本を同じ幻冬舎から出版が出来た。
その彼は、最近、自らが出版社を立ち上げ、その改訂版を出されている。
私は、「マネー・スイッチ」という本の出版記念のワークショップを含んだ大阪でのイベントにも参加した。
その会の最後に、全員で神に祈りをささげた。
それは感動に包まれたイベントだった。
次回、東京でも開催されるのでお勧めです。
4/26 及川幸久 新刊『マネー・スイッチ』実践ワークショップ
https://wb250426.peatix.com
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