陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2025-02-14

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運を良くするためには

開運の方法は様々にあるだろう。
一番大切なことは、健康であるということ。
その健康にも、心の健康と体の健康、二つがある。


個別のもののように見えるけれど、仏教で「色心不二」といわれるように
分けれるモノでは無いという見方もある。
このことは、量子力学で言われる素粒子の持っている性質に波の性質と粒の性質があるということと関連がありそうです。

体の健康は、要するに粒子レベルの肉体という物質の中に何を入れるかということが、肉体の成長や健康状態を保つために何がどう働いているのかが重要にもなるでしょう。
ただ、どのような食に関わるかは、心が決めている部分もあります。
それ以外でも、多くの部分で心が運命を決めているといっても過言ではなさそうです。

最近、強く感じるのは、運とは、どのような波動を持ったモノを自分自身が取り入れながら生きているのかということ。
自分自身が生まれてくる前に天上界で決めてきた人生という波動の光が中心に在り、その光に様々な学びから新たな波動の光を引き寄せ、それらを自分自身の光と合わせて撚り挙げている。
どんな光を取り入れて自分のロープのようなモノにしていくのかということ。人生とは、最初に決めたものがあるにせよ、それに新たな縁をつないで運命をよりよくしたり、逆に腐らせるようなこともあるということのようだ。

この3次元は、修業の為に創られた世界であり、舞台上で役者として動いている世界であり、重要なポイントでの判断によっては、最初に予定した光の道ではなく、闇の方に向かうこともあり、この3次元世界とは別の世界線に移行する場合も有るようだ。
並行宇宙とかマルチバースとか言われている世界の存在も在るのかもしれない。
本来の世界は霊的世界、波動そのものの世界、あの世が実相の世界のようです。
ただ、アドリブが許され、自由が与えられているために、進化も出来るが退化も出きるようにされている。

心が選んで引き寄せるものが、心にも体にも不健康なモノを選ぶ自由も与えられているということ。
どんな波動のモノを引き寄せるのかで、幸不幸は決まっていく。
目先のモノばかりで何ら益することのない波動を選ぶ場合もあれば、表面的にそれほどの価値を見出せなくても神仏の光を帯びているものもある。
それらの判断の如何によって未来は決まっていくもののようだ。
魂の進化に益するモノもあれば、魂の堕落に寄与するモノもある。

結局、どのような波動と縁を結ぶのか、農作物でも見た目綺麗でも、農薬にまみれたようなものも有れば、見てくれが悪くても良いモノもある。
ニュースソースにしても、ニセ情報として規制されているものでも本物もあれば、大手メディアが放送する情報が単なるプロパガンダである場合もある。

どちらを選び、どちらが本当なのか、その正しさはどちらに分があるのか解からないことが多くなっている。
ニセモノの波動を取り入れていると、判断力が狂ってくる。

より本物の波動を選ぶような自分自身をつくってこなければ、間違いを繰り返し、気が付いた時にはすでに悪霊悪魔の構成員のようにもされている場合がある。トランプ対バイデンで象徴されるように世界は二分されていたが、次第に明らかになりつつあるだろう。決着はすでに決まっている。
それでもニュースとか討論番組を見ていても、綺麗ごとを言いながら悪魔の構成員のような人たちも多い。

結局重要な判断が悪魔側を選ぶのか天使軍団を選ぶのかという問題は、信仰心にあるだろう。食にせよ環境にせよ、本物を選ぶことは難しいけれど、天国の波動を選ぶ場合と、地獄を選ぶ場合とがあるということを肝に銘じておかなければならないだろう。

その結果は、この世界も、自分の体も、悪しきものにしていく場合だけでなく、自分自身の魂が地獄というおぞましくも苦渋に満ちた世界に落ちて行くこともあるということだ。



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