陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2025-02-02

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ヒトはサルから進化したという進化論は間違い

間違った世界観を持っているために、白人が進化の最先端にあって、黄色人種や黒人は進化の途上にあるものとして、人種差別があり、奴隷制度もあった。


考えれば解かることなのに、表面に見えているものだけで判断することの愚かしさを歴史は証明している。
しかし、更に愚かしさを示しているのが、その過去の反動で人種差別の反対運動が起きて、格差是正も言われ、結果平等主義が蔓延していること。
その蛇行現象の主人公となっているのが、唯物論、無神論の人たちである。その蛇行が示しているように、右脳的な思考と左脳的な思考のバランスを欠いている。
左脳的思考は、右脳的思考の下流にあるべきなのに、俗に頭が良いと言われるような人たちは、左脳的な知性や理性に支配され、右脳的な感性や悟性がないがしろにされてきた。
記憶に支配され、目に見える結果に支配され過ぎて、目に見えず理解されにくいものを隅に追いやり、神すら信じられなくなり、ただ、困ったときの神頼み的なレベルに落ち込んできた。目に見える結果しか信じない唯物論者を作り出し、その弊害は、現代社会で噴出している。

どれもこれも、その原因は、私たち人類が偶然に生れたとする認識にある。
私のフラクタルの森の図で課題の中に進化を入れて見ると、4つの循環の「なぜ」の部分が欠落している事が分かる。
要するに論理的に在り立たず、ただ人間は偶然に進化してきたということになってしまう。「なぜ」の中に在るのは、ドノヨウニシテという手段や具体化ではない。なぜとは、思いであり、思念であり、動機であり、イメージであり、情報の中心部分である。
ここが欠落しているということは、ただ、偶然に出来てきたということにしかならない。

この4つの循環の課題の中に「器」を入れてみよう。
そこに在る「思い」、その動機は様々あるが、器を作るに対してそのイメージが在り、願いがあり、思いが有る。そして、具体化するための材料があり、方法がある。そうして器が生まれる。
この「なぜ」を埋めるものが必ず在るということは、「偶然」この器が出来たとはならない。
この人間と器が比喩として一緒に使われることがあるけれど、器が必然として存在するのに、人間が偶然に生れたとするのはどう考えてもおかしいこと。

陰陽の分担

全て、存在する全てのモノ、その全ての中に「なぜ」がある。
量子レベルのモノであっても、当然「なぜ」がある。
その何故が解からないからとして、そこに在るべきものを消してしまっている人が多い。
思いを、イメージを投影している存在を無視してる。
その神を無きものとしているから、「神は死んだ」ということをのたまう哲人気取りのニーチェまで生まれる。
大川隆法総裁によれば、ダーウインもニーチェも死後、地獄の最深部にて悪魔となっているという。
それらに波長を合わせている唯物論者、無神論者によって現代社会は成り立っているようだ。DS、グローバリストたち、左脳ばかり鍛え既得権益にしがみつく官僚組織、結果ばかりを追い求める経営者たち、それらの手足として働いているようなメディアの構成員、それらの予備軍として間違った世界観の暗示を受けている一般庶民たち、こぞって、世界を地獄へ導こうとしている。
しかし、それに抗い、頑張っている人達も居る。
結局は、神仏を信じる人たちが抵抗勢力として頑張ってくれているということだ。



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