FrontPage/2025-01-08
基本は、神の光の中で生きている
その光の中、確かに、色んな思いの念波が飛び交っている。
光と同調し光の助力を受けることができるか、もしくは、地獄の亡者たちの念波を拾う者も居るだろうが、それは、本人の表面意識の出す波長によるだろう。
これは、波長導通の法則と言われている。
本来は、皆、守護霊という魂の兄弟がそばに居て光の中をまっすぐに生きられるように協力してくれているという。
しかし、その心の中に曇りをつくると守護霊の思いから離れ、神の光が差しにくくなり、闇の世界から発せられる念波を拾ってしまう。
誰しもそのような危険があるために、反省して正しき心の探求をすることが推奨されている。
ある意味、単純な事なのだが、今までの経験でも難しい。
闇から発せられている念波を簡単に拾ってしまう。
そして、目先どんなに良きことが有ったとしても、いづれ闇の世界に取り込まれてしまう。
現代社会の実際を見れば、この闇の勢力に取り込まれている人が多いことに気が付くだろう。
正しき心の探求をしておれば、そのことがよくわかる。
死後、それらの人が行くべき先に地獄という世界が待っていると言われるが、私自身、そう信じているだけで、その実態を知っているわけではない。
しかし、その世界の苦しみ悲しみ悲惨さは筆舌に尽くしがたいという。
家族や知人友人が、その苦しみの世界に堕ちることを平気で見ておられるだろうかということだ。
死後の世界があるなら、確かに二つの道があることは想像できる。
ただ、実感は無い以上、信じるしかないということ。
もう一方の道は、守護霊、魂の兄弟たちと深くつながり、様々な神の光を引き寄せ、その協力を得ることが出来ることで、希望実現とか、引き寄せの法則にあるように夢の実現まで至るようだ。
しかし、山あれば谷ありで、間違った道に入り込むこともある。
やはり、正しき心の探求ということが不可欠であり、神なる光の道からそれたと気づくなら速やかに、元の光の道に戻ることをしなければならない。
その道の先に仏神がおられるかどうか、それとも、悪霊悪魔が落とし穴を掘って待っているのか。
試しは、至る所にあるのだろう。
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