陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2025-01-04

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ミクロの目とマクロの目

顕微鏡で見る光景と、天体望遠鏡で見る光景。
共に理解しにくいけれど、その中間に私たちの世界があるのは事実。


日ごろ私たちが目にして体験していることから見ればあまりにも異常な世界である。
特にミクロの世界で起きていることは、マクロの世界で起きている事と比べ規模も質的にも小さいために、何となく自分たちの手の中で起きているような感じに見える。
しかし、二重スリット実験で見える光の波と粒の性質があるということだけをみても、あまりにも不可思議であり、観測者が居ると粒の性質が顕れて、居ないと波として存在しているとかいう。他にも量子もつれとかシュレーディンガーの猫とかいうことも起きるという。
片方の情報がもう一方に伝わるのに光速を無視したようにどれだけ離れていても瞬時に伝わるという。
正直訳が分からない。
マクロの世界でも黒点とかも同じことだが、宇宙レベルで見ても想像をはるかに超えた世界が広がっている。

ただ、考えてみるに、私たちの身近で起きている事であっても深く見るならば不思議なことが満ちて有る。
この肉体の持っている力を考えただけでも不思議さに満ち満ちている。
身近にある道具たちを見ても、自然界の食料などを見ても不思議の塊だ。
人間が造った道具であれば、そのルーツをたどることは出来るが、それにしても限られた世界であり、全てが見えているわけでは無い。
電気で作動するものでも、そもそも電気とは何か、電波とは何か本当には解かっていないだろう。木材にしろ石油などの資源にしろ、自然界のもの自体、そのルーツをたどろうとすれば途中で止まってしまい、分かっている範囲だけで、それを常識として受け入れ使っているだけに過ぎない。

もちろんそれでよいのだろうとも思うけれど、そろそろ限界突破をしなければならない時期が来ているのかもしれない。



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