FrontPage/2024-12-14
備前焼と「思い」の 不思議
「備前焼の不思議」の中にも書いていますが、元々、備前の花器は花もちが良いということは、生け花に関わっている人たちの中では常識となっています。
しかし、11年前に、私のフェイスブックに投稿したことは、今考えても不思議です。
https://www.facebook.com/genmei.ueda/
今年、同じ条件で実験したときには、商売につなげようと邪心が混ざった為か、同じようにはいきませんでした。
本年、同じ器で実験し、旨く行かなかったこととか、菌ちゃん農法の吉田氏の言霊の実験でうまくいかず、逆の結果が出たこととか、大川隆法総裁の心の教えで100%の信仰が無ければ奇跡は起こらないという話とか、私自身の20代の経験で、人一人呪い殺した可能性が有ったこととか、それ以外にも様々な経験から考えると、心の不思議を、今更ながらに感じ入っています。
呪いの話ですが、先日、幸福の科学のメンバーでもある医者にかかり、昔、不整脈が出ていた20代のことを思い出したことです。
私は、元々、高血圧で160を越えています。家系的にもそうなのですが、みんな降圧剤は飲んでいたようですが心臓が元で亡くなったとは聞いていないので心配もしていませんでした。
ただ、先日、平常時に苦しくなり吐いたりもしたので、血圧を下げる薬ぐらい飲んだらいいのかと思い訪ねたのです。
結局は、心臓に欠陥が有るかどうかは、もっと精密検査をしなければわからないということでしたが、血圧を下げる薬のことは話にも出てきませんでした。
そこで、不整脈のことを聞かれたので、思い出したのです。
20代半ばだったと思うが、ある仕事場をクビになったことが有ります。
いきない言われたことでショックでした。
もっと配慮した言い方があったのではと思いましたが、今考えてもクビになっても仕方がない状況でした。ただ、しつこく恨んだわけでは無かったと思うのですが、今考えても申し訳なかったなと思うのですが、その状況を繰り返しイメージしていたことは事実です。
その後一か月もしない時、その社長は心筋梗塞で無くなりました。
私は、それと時を同じくして、不整脈が出て病院にかかったことが有ります。不整脈が出たのはその時だけです。
その話を友人の医者に告げたところ、念が自分に帰ってのことだねと言われました。私もそう思っていました。
しかし、私は、当時、強く念じるということもなかったのですが、相手を責める思いは確かにあったと思う。
今、思うに、やはり言い方を工夫してほしかった、自分の至らざるところは認識していたのだから。
青ジソのこともそうですが、奇跡的な緑を保っていた時には、頑張れとか
ありがとうとかの声がけはしていませんでした。
ただ、アリガタイという思いは、トイレに行くたびに思ってはいたはずです。他の家族がどのような思いを発していたか聞いていませんが、おそらく大きくは違わないでしょう。
言葉にする前には、当然、思いが有ります。
菌ちゃん先生の話でも、同じありがとうと言って畑の菌たちに声がけしても人によって大きくその違いは有るようです。子供たちの「ありがとう」「がんばって」が一番効果があり、大人の男性のそれには効果があまりないという。学歴の高い人ほど難しいという。
菌ちゃん先生の言霊の実験での逆転現象も、最初は、言霊の力を信じていないまま声がけをしていたために、肯定(ありがとう)の否定と、否定(ばかやろう)の否定とで、逆の結果が出たと認識されたようです。
同じ条件で実験したのに違いが出るのはおかしいと思い、再度挑戦したところが菌ちゃん先生の素晴らしい所だと思いました。
結局は、「思い」の中身の事のようです。
その波動に含まれている中身、その情報によって働くエネルギーは違ってくる。
イエスも言われていますが、不貞を働いた女性を石打の刑で殺そうとしている場面で、その行為に至らなくても、思っただけでも罪になるという話をされていさめられた。
それほど「思う」(なぜ)という力は、侮るべきではない。
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