FrontPage/2024-12-12
複眼で見る
世界情勢は混沌としている。
当然、それらの対立に対して色んな意見がある。
正しい見識も、間違った見識もある。
当然、私の見識も適当であり、耳にし目に入っている情報に踊らされる。
情報をどこから得るのか、その波動、そのエネルギーをどこから受け取り、自分の波動として受け入れてしまっているのかということ。
過去、それぞれが造り上げ固定化しながら拡大している認識がある。
それらを冷静に見るなら、学んだことを信じて受け入れているにしかすぎない。
しかし、自分自身は、それが正しいと思い受け入れ、少ないともその認識に対して賛同して受け入れている。
当然ながら、その情報も完ぺきではない。
間違いも有れば、受け入れる側の勘違いもある。
過去を振り返れば、天動説、地動説の対立も有れば、常識とされていたようなことが見直され、とんでも説になっているものもある。
自分たちの中で常識化していることが、間違っている可能性は、常にある。
ウクライナ紛争も、パレスチナ問題も、日本の兵庫県知事の問題も、表面だけ見ていると、自分たちが今、常識としている認識をベースにして全てを見てしまう。
その常識として認識している情報源は、大手メディアが流すものであり、これには大きく影響されるのは仕方がない。
しかし、間違った情報、ニセ情報を信じさせられたなら、それに対する反応も間違ったものになるのは当然だ。
民主主義と言いながら、実は多数決であり、多数の意見が正しくなかったことは過去にも沢山ある。
何が正しくて、何が間違っているのか、どの情報を排除し、どの情報を受け入れるのか、この二択問題は常に課題として降ろされている。
ただ、この選択に影響する土台を誰でも持っている。
それが、世界観。
この世界を、この時代を、この社会を、そして人間とは何か、それに目的があり、使命が有るのか、それらをどう見ているのかで違いが生まれてくる。
この根本にあるモノを、まず、正しく見れているかどうかだろう。
これは「悟り」といわれるものの一部であり、その上に様々な課題が乗っかって来る。
悟りと言え、難しそうに感じるけれど、ウクライナ問題にしても、ウクライナが過去、直近でロシア系住民に対して行ってきたこと、ロシアというか、旧ソ連がウクライナにしてきたこと、個人的にも全体的にも有ったことを認識の片隅に置いて今を見なければ、正しく見ているとは言えないだろう。
大手メディアやウエブニュースを見ていても、背後に大手資本が絡んでいるニュースを聞いていると、私の認識から言えば、多くの問題を含んでいると感じてしまう。
ここで、それに対する見解を載せているのだが、もちろん、私の考えが全て正しいと思っているわけではない。
ただ、私は、積極的に、私の反対の認識であると思われる情報も見ている。狂信、妄信をしているわけでは無い、と思い込んでもいる。
何事も素直に信じるべきだという意見もあるけれど、悪意を含んだことに関わると、その巧妙さに足元をすくわれ、後悔することも有る。
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