陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

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陰陽学の見直し

陰陽学と言っても私の個人的な翻訳ですが、量子力学のことに関心を持ち始めてから、何となく光が見えてきた感じがするものの、頭の中が混乱し整理がしにくくなっています。


私の性格として、几帳面なわけでは無いけれど、頭の中や周囲が整理されていないと気持ちが悪いという点があります。
何事も整理しきれるものではないけれど、それでも、一つの道筋が常に見えていたいという感じでしょうか。

陰陽とは、基本、何であっても、見えている(見えやすい)モノと見えていない(見えにくい)モノが有るということが基本です。
それらが、いつ、どこで、だれがという要素の中に有り、時間、空間、人間の中に在るということ。
時間では、原因と結果、空間では、他者と自己、人間では、情(右脳的感覚)と理(左脳的理性)。
その人間的な陰陽は、更に私たちの心の中で起きる葛藤の中にも在り、すぐに想起させるような表面的なモノと、視点を変えれば違って見えることなどが在ります。全て人、時、所を変えるだけで違って見えるモノは沢山ある。価値観に関するモノ、好き嫌いだったり、損得であったり、長所であったり短所であったり、様々な感情が交錯して複雑にしているのがこの世の現状でしょう。

これに、理論物理学で明らかになりつつある素粒子の持っている性質が関わってきます。どうやら、この宇宙、この世界の基本に在るのが光のようです。光、光子というモノにも波の性質と粒の性質があるという。
この世の存在全てに影響している。

今までの考えでは、光速を越えるスピードは無いと言われていたが、素粒子の研究の先には、それが在り得るというのです。
この光速を限界にしている世界と、光速を越えている世界も陰陽の関係のようです。
要するに、全ての根本にある波動の世界と粒子の世界とは、これも陰陽の関係であり、この波動と粒子の関係そのものが、全ての基本に有るようなのです。

sono
その人間について考えたいと思います。

人間とは、肉体に宿っている魂、その魂が入っているのが人間であり、魂が抜け出てしまったものが死体である。車という肉体に運転手という魂が乗り込み操縦しているのが人間である。

人間の 陰 と 陽
  波動  ・  粒子
  魂   ・  人間(体)

人体(肉体)の 陰 と 陽
  波動  ・  粒子
  肉体諸機関の魂 ・ それぞれの肉体諸機関

人間とは、肉体、その姿が見えるために、そのものが人間だと思っているが、この陰陽が備わっているのが人間である。その魂がそれに対応する肉体諸機関とつながり、運転している。車でも自動運転の幅が次第に広がりつつあるように、自動的に働いてくれている部分も沢山ある。
心が不調だと、肉体にも影響して体調を崩す。

車にもコンピューターが沢山入り込み、フラクタル的に言えば、人間そのものに近づきつつある。この延長線状にロボットやアンドロイドなども存在している。
AIが発達するにつれ、この境は分かりにくくなっていくだろう。これが、人間と似ていても、その違いは何であるか難しい。ただ、このAIにしてもコンピューターにしても、魂にしても、偶然に出来ていないということ。そこには、プログラマー、インプッターの願いがあり、その意志が反映されているということを理解できていなことが問題だ。
全てに神、創造主の意志が働いている。
人間でいうなら、魂がどうやって出来ており、肉体のそれも同様に、どのような理念の元に出来ているのかということ。
結局は、フラクタルであり、「神は、自らに似せて人間を創られた」という言葉があるように、神そのものが解からない以上、無知の知を認めるしかない。

陰陽の連鎖を見て想像するしかない。
この連鎖を断ち切り、思考停止しているのが中途半端なエリートたちである。
自己の優秀さゆえに神の如く振舞い、世界を意のままにコントロールできるように思っている者たちが、グローバリストたちであり、結局は、神の願いから離れ、自分たちの欲ばかりを追い求めて、社会を悪くしている。

その闇を打ち砕く一助になればと思い、ヘタな文章を書いています。



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