陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2024-11-14

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メディアの力

第一権力は、政治家でなくメディアに握られている。
こう大川隆法総裁が言われたのはいつの頃だっただろう。
メディアの力で政治家をクビにも出来るし、選挙もリードできる。


大手メディアの力は確かに大きく、そこで言われている言葉に、自分自身の認識が大きく影響されることは、自分でも実感する。
大手でなくても、見聞きする色んな言論に影響されるのは、仕方のないことかもしれない。
今、ユーチューブとかXなどの影響も強くなっているために、大手メディアだけの独占状態は減少しているのかもしれないが、それでも、NHKなどの力は大きい。
ネットなどの利用が増え、ニュースなどの情報もテレビや新聞からだけで受けている人も少なくなっている。
これは、ある意味、メディアの寡占化が問題として有ったけれど、多チャンネル化が進んでいる事でもあり、良い方向だと思う。

一つの価値観で暗示にかけられ、全体を一つの方向に引っ張っていきにくくなって、分断化が進んでいると言う人たちも居る。
これは、複眼で見るということにもつながる。
正しさを見ようとするとき、一つの価値観だけしか見せられないと、迷うことは無いけれど、全体主義となり催眠術にでもかけられたかのようになり、間違った方向に向かいかねない。
NHKのニュースなどを見ていても、そんなことで不満に思う情報の発信が多い。公共放送と言いながら、何が公共なのか、国営放送的な刷り込みで、その信用度は高いために、ここでの情報発信の力は強い。
ただ、ここでの情報に誤りが有った場合その回復のためにどれだけの力が必要になるのか。
「地獄への道は、善意で舗装されている」ということわざもあるが、公共放送であるという自認のせいで、どうしても偏る傾向が強い。
しかし、民放とどれだけの違いがあるのだろうか。
受信料が、国民負担金の中に入れられているかどうか知らないが、もし、税金などと同じであれば、国民は、自分の手で全体主義の流れに向かわせているようなものだろう。
私自身の中でも、NHKを特別に見るような暗示が残っている。
民法が正しいわけでは無いが、同じ土俵の中で情報が流れる必要が有る。

どちらにせよ、情報の多チャンネル化が進んでいることは良いことだ。
意見の違う情報を白紙の上に、公平に並べて考えられるように持っていく必要が有るだろう。

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