FrontPage/2024-11-06
言葉が発せられる前には思いが有る
言葉として表現される背景には、思いが有る。
思いと言葉、この相関関係は否定できない。
そして、当然ながら有言実行というように、言葉と行為は深く関わるということ。
不言実行ということも有るが、思いと行いも繋がっている。
ということは、思いは、行為として具体化するエネルギーがあり、物理的力を持つということ。
つなげると、思いにはエネルギーが有るということになる。
人が死後、肉体を失い霊体として在るとき、言葉は出せないが、言葉という形でなく、思いという波動として発せられている。さらに、思いが即行為となり、思いは言葉にせずとも伝わるために、あまりにも隔たりの有る思いを有していると同じ空間にはいられないという。自然と同じ波長のモノがあつまり、地獄も必然的にできるという。
テレパシーということでもあるのだろうが、ということは、以心伝心というように、思いは伝わり他者に影響を与えるということだろう。
強い思いを発する人の周囲にいる人は、その思いのエネルギーに影響される。このことは日常で経験できることは沢山ある。何で、あの人の発言は多くの人に影響を与え、そちらに向かわせるのか、不思議に思うことは多い。
闇バイトとか、犯罪に縁を結ぶ人たちの中にも有る。その実行役となって悪事に加担している人たちの心の中にも、同じような波動、思いがあり、エネルギーがあるということだろう。
そういう悪なる波動を受けるには、それなりの理由が有るようだ。
波長導通という言葉になるが、縁を結ぶには、同じ波長を出していて、その心のスキが原因としてある。
非常に分かりにくく、不思議ではあるが、100匹の猿の話でもあるように、ある情報が集合して働くと、それなりの力として働くようになることが考えられる。
集合想念の力でもあるが、ただ、一か所から出された強い波動でなくても、この力は恐ろしい。
変な例を出すが、あのイエスがゴルゴダの丘で磔にされ殺されたときも、審問官がイエスを解き放そうと思い民衆に問いかけた時も、その時、ユダヤの民は、その只一人を選ぶのに、強盗殺人の者を選び、イエスを見捨てるようなことをしている。その流れに似たモノを運命として抱えているのだろう。ナチスによるホロコースト、逆にパレスチナでの惨殺、アメリカ大統領選挙なども居のままにしようとするシオニストたちの暗躍、世界を意のままにしようとするユダヤ資本、神の子を捨て去ったという波動は、もちろんユダヤ人全てに在るわけでは無いが、そのカルマの繰り返すような宿命を背負っている。
エネルギーは残り、影響も残る。
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