陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

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原点回帰

原点といえ、何に回帰すればよいのか、視点には色んな面がある。
基本は、個人の視点であり、誰しも意識できる、表面に浮かび上がっている現実を見ている視点だろう。
科学的証明になじむような視点でもある。


その反対の科学的証明になじまないモノ、言い換えるなら、陰と陽、両面の視点が必要だということ。
科学的といいながら、真実、全てが解明され認識されているわけでは無い。
医学関係でも、西洋医学と東洋医学という分け方も有る。
西洋医学は、より科学的といえるだろうが、東洋医学は、ツボや針治療のように、その効果が科学的に証明できているわけでは無い。
そもそも、人間の肉体に関する事でも、科学的に証明され理解されているわけでは無い。

その機能の進化に関しても、なぜ、そのようになっているのか分からないのに分かった気になっていることの方が多いだろう。
ダーウィンの進化論をいまだに信じている人の多さを見ても、理解しているのではなく、単に信じているだけなのだ。
それは、いつもの図表を見ながら考えると見えるだろう。

基本

ここで、中心に在るのが、「なぜ」の部分です。
備前焼にしろ、様々な道具にしろ、最先端の科学の産物にしろ、ここが無いと始まりません。
人々の思い、もしくは、それらを包括した、人智を越えている思いが無ければ、この宇宙にしろ、生物たちにしろ始まってはいないはずです。

「なぜ」とは、思いであり、設計図であり、イメージです。
ここに大いなる神秘が有り、秘密が有るようです。

引き寄せの法則とか、潜在意識の活用法とか、体の健康にも深いかかわりがあり、この「愛」を起点にして4つの項目を循環して、全てが回転しているようです。どうやら、ここに全ての原点が有るとしか見えないでしょう。

量子論の基本に、粒子と波動の要素が有ることは知られていますが、霊的に見ると、全て、本来は精妙な波動であり、その波動が荒くなって粒子となるようです。突然飛びますが、時々目撃されるUFOも波動を変えることが出来て、乗員が生存が不可能な急激な飛び方をします。
恒星間の移動で光速を越えた移動が出来るのも、全体の波動を精妙な状態にしなければ無理なようです。
アブダクションで人を建物の中から吸い出すにも、一旦、精妙な波動に変換しているようです。

この精妙さは、何かというと、臨死体験で壁を通り抜けられたり、幽霊などが壁を自由に通り抜けられることと同じようです。
どうやら、人間として肉体の中に居る時は、粒子としての存在であり、その肉体を離れる時には、精妙な波動となった存在のようです。
UFOでも通常の粒子の状態では、ミサイルなどで破壊出来ますが、波動のレベルに精妙化されると破壊は出来ないようです。

この粒子と波動のこと、量子レベルでの科学知識が発達しなければ、どんな異星人でも、遠く離れた、この地球にやってこれないようです。

この量子レベルでの科学といっても素人の私には理解できませんが、仏教の始祖の仏陀は、色即是空 空即是色に有るように理解していたと言われています。色は粒子で肉体とか物であり、空は波動、波です。
そある意味、全ては波であり、波とは、振動であり、情報であり、思いであり、エネルギーです。
その一つの表現形態として、この世が有り、物質が有る。
それが数学的にE=mc²で表現されている。

エネルギー(波動)は、物質(粒子)と等価であるということ。
波動を「思い」と見れば、現実を産み生み出している「行い」と等価であるということでもある。
この思いの波動は、言葉にする前にも、文字にする前にも在り、現実を大きく変えていく。
その思いの波動の集積が、今、現代を造り出しているとも言えるでしょう。
この思いの原点に帰り、考えない限り、科学の発展はないし、理想社会の実現は難しい。



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