FrontPage/2024-10-30
対立は何故起きるのだろうか?
この社会では、色んな考え方が有り、様々な対立が起きるけれど、その対立がなぜ起きるのか。
基本、利害の対立だろうが、そこまで行かなくても、政治や政策、社会制度に対する小さな意見の違いで対立し始める。
各個人の内部でも、対立している意見はある。
その違う判断のどちらを選択するか、そのレベルをどの程度にするべきかでも迷う。これは、車両の運転とも同じで、アクセルにしても、ブレーキにしても、その強さ加減は微妙であり、単純にデジタル的にオンオフのみだけではない。
政治などで例えるなら、セーフティーネット、社会保障の問題、生活保護の問題などがある。
それらのことが無関係な人もおれば、それが必要な人も居る。
それをどう見て、どう対処すればよいかは、人、時、所の違いでアクセルが必要なのかブレーキが必要なのか、その加減も違うだろう。
どんなことでも同じで、過ぎても少な過ぎても悪になる場合があり、不必要な対処をすれば大きな問題にもなる。
時々、税率のことでラッファー曲線を引っ張り出すけれど、私の「良い子悪い子普通の子」の放物線で見るように、中央値の良い子なり普通の子のレベルを探さなければならない。
しかし、その対応の過程で、普通の子レベルを逸脱して、少な過ぎたり多過ぎたりすることが有る。
それぞれに、良かれと思ってアクセルなりブレーキを踏むわけだが、良い方向にそのレベルが移動するのでなく、更に悪い方向に移動する場合がある。
その評価の違い、判断の違いが対立を起こす。
どちらが正しい判断なのか、当事者には解からないが、それぞれが自分の判断の正しさを信じている。
それぞれの正しいと思っていることが対立し、それがエスカレートすることで戦争まで行くことも有る。
しかし、目には見えないけれど、その時点からどちらの方向に移動するのが良いかは、ある意味数学的に見ても明確だと思う。
真理としても、決まっている。
基本、結果が出るまで分からないが、結果がでていても判らずそのことを進めていることもある。
例えれば、ネジだ。普通は右にねじれば締まり、左で緩む。
変則的な体制でネジを緩めようとして、間違って逆に回すことも有れば、草刈り機の歯を絞める時など逆ネジもある。
それに気が付かず、逆の方向に回し続けることも有る。
結局は、認識力の問題であり、
間違った認識で行動すれば、やればやるほど求めている事と逆の結果を引き寄せる。
日本の政治が、長い期間低迷し、国民の貧困化が進み、国力の低下を招いている現状を見るなら、色んなところで間違いを犯しているのに、それに気付かずに、逆のことをしていることになる。
では、なぜ、そのような逆行を許しているのかというなら、私の前著「フラクタルの森 玄明 陰陽学」(幻冬舎刊:アマゾンで購入できます)のメインである、見えにくい所を見ていないせいだ。
見えにくいモノは、次の中にあります。
いつ(時間)・・・原因と結果 過去~現在~未来
どこで(空間)・・・他者と自己
誰が(人間)・・・情と理
陰陽の陰、見えにくく、大切な所を見ないために、今(現在)だけ、ここだけ、自分だけ、結果(金)だけで考え動いてしまう。
陰陽、目に見えやすい所ばかり見ている唯物論者たちの起こしている現象であり、マイナスの渦の中に現代社会が有るからです。
これらは、グローバリストたちが主役となっている。
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