陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2024-10-26

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書道パフォーマンス

これは、ある意味、波動勝負の世界。
言葉、文字の波動の力と、そこに込められる声の発信者である書き手の心の波動。
同じ文字を書いていても、書き手の心はそれぞれに違う。


もちろん、書の上手下手も有るだろう。
しかし、それと同時にそこには、心の足跡も残る。
感動の言葉を書き記しても、その感動が本物か偽物か、見えていない姿として残り影響を与える。
その感動の受け手がまともであるなら、正確に受け取ってもらえるだろう。

このことを書いていて、最近、我が家で行った実験のことが思い返される。

何年前か忘れたけれど、このサイトの「備前焼の不思議」にも載せているが、とても不思議なことが有った。青じそをトイレの花びんに入れていたのが、12月が来ても青々とした状態だったのだ。
それを再現しようと思い、同じ器で同じようにしてみたのだが、今回は根腐れを起こしてダメだった。
ただ、それだけの事なのだけど、なぜだったのか考えると見えてくるものが有った。

それにしても不思議なのは、この10月でも畑の中の青じそは種をつけ枯れてしまっている。それなのに、あの時は、もしかして、青々としたまま正月を迎えるかもしれないと思ったほどだったのだ。夫婦で経験した事なので、一人で何かを勘違いしているのでもないだろう、この写真を撮ったときも、12月に入ってからだ。
葉が数枚落ちはじめ見苦しくなったので取り去ったのが、12月の中旬頃だったと思う。

その前回と今回の違いは何だったのか考えると、こちらの心の波動の違いは認めるしかない。前回は、何を考えていたのかも覚えていない。ただ、トイレの緑色にアリガトウという気持ちを持っていたくらいだろう。
しかし、今回は、もう一度その実証を行い、克明に証拠写真を撮ってアピールして売り上げを上げたいという気持ちが有った。
要するに、自我我欲が有ったのは間違いがない。
おそらく、原因はそこに有ったのだろうと思う。

奇跡のリンゴの木村氏の話とか、サボテン人心感知法など、植物に関する不思議な話はよくある。クローバーでも四つ葉は少ないけれど、幼稚園児たちに四つ葉のクローバーが増えるように祈ってもらうと確かに増えるという。どうやら、植物だけではないが、人の心を正確に感じ取り反応する力が有るようだ。
具体的な世話にも効果が有るけれど、何をしなくても、口に出さなくても、心の波動は影響して物理的力を与えているようだ。

これらのことを思い返しながら思うことは、私自身、この心から発している波動の力を信じてはいなかったのかもしれない。
知ってはいたが、信じてはいなかった。

大川隆法総裁の教えは知っていても、本当に、自分自身が信じているかどうかは疑わしいモノが有る。奇跡が起きるときは、100%の信仰が必要だという。当たり前も何もなく、ごく普通の事として、そこに起きるべくして起きるということ。

心の修業は、まだまだ続き、まだまだ先が有る。



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