FrontPage/2024-10-25
波動とは何だろうか
簡単に、波とは何かといえば、振幅である。
強弱が有り、振動が有る。
具体的に言うなら、水面で起きる波であり、音の波である。
その音は、レコード盤の溝に驚くほど正確に刻み込めるようだ。
この現象をどう見ればよいのか、そして、この音は電子的にも正確に記録できる。
人の声質の違いまで正確に情報として記録される。
そして、その声や語られる内容によって人の感情は打ち振るわされる。
ということは、何らかのエネルギーを含んでいるということ。
波動(振動、周波数)には、あまりにも奥深いモノが有りそうだ。
霊的世界の中でも語られているのが、その基本中の基本になっているのが光だという。詳しくは理解できないが、ニコラ・テスラというあのエジソンをも凌駕しそうな天才科学者の言葉の中にも有り、光が無ければ全宇宙の存在は無いという。
大川隆法総裁の教えの中にも、「大宇宙に光あり 光は仏の命なり 命によりて人は生き 命によりて歴史あり ・・・」とある。
どうやら、光が、全ての原点に在ることは間違いないのだろう。
光速が何らかの限界であるということは、それを超えた世界の意味には深遠なる秘密があるようだ。アインシュタインの相対性理論すら理解できないが、最新の量子論からすれば、その光を越えた現象すら説明が可能に成りつつあるという。
全くの門外漢であり、細部にまで入り込んでいくつもりは無いが、宗教の悟りの世界、そして、フラクタルの数学的な理論、更に曖昧な陰陽学的な見方、素粒子論の粒と波の世界に入り込み、これらを横断するかのようにみると、全体を貫いている一本の線が見えてくる。
その重要な面が何かというと、仏の世界、光の波動の中に含まれている情報、そのエネルギーが見えてくるのだ。
それは、一言で言うなら「愛」。
もちろん、欺瞞に満ちた奪う愛ではない。
もっと簡潔に言うなら「お役に立ちたい」という思い、その強い念いが光となり、全宇宙の恒星たちが光を散乱させている。
その強い光は、全てを焼き尽くすほどの力が有る。
その強い力を屈折させ、我がものとするような輩も一部には出てくる。
それでも、なお、仏は、神は、創造主は、その光の供給を止めることはされない。
それは、全ての存在が我が子のようなものだからだろう。
ただ、光の扱いは、場面により強すぎるなら自らの身も魂も焦がして亡ぼすことも有るということ。
もちろん、警告も、忠告もされ、自らをコントロールする術を天使たちを使い教えようとされるが、イエスキリストのように十字架にかけて殺すようなことまでしてしまう。彼の「愛」の教えの中にかぎが有るのに、そのカギを偽物として使うようなことまでされて、キリスト教の中に数多くの邪教が生まれてきた。
他の宗教もしかり。
そこに在る光を屈折させ、堕落させ、新たに起こる光の広がりを阻止する。
今、新たな教えが広がろうとしているのを、悪しき波が抵抗する。
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