FrontPage/2024-10-07
自灯明、法灯明
これは、仏陀の教えの一部だが、これを真逆に使う者たちがいる。
本来、釈迦入滅時に仏が存命中には仏の教えに依拠して生きる小tが大切だが、入滅後仏が不在となれば、自らの魂に刻まれた光にも依拠して生きよ、といったことだったろう。
要するに学んだ教えも大切だが、自己の魂の中に有る光も大切だということだと思う。
いつの時代でも学ぶことは多い、そして、それらをベースにして自分自身の考え方もある。しかし、外部からの情報にも様々なモノが有り、玉石混交だ。そして自身の魂の奥底から湧き上がって来る正しさにも両面が有る。要するに、外部からの情報にも自分の考えにも、良い子、悪い子、普通の子が考えられる。本来は、自らのうちから出てくる光には、仏の子、神の子としてのものが出てくるはずだが、あまりにも悪い情報、偽物の情報が多過ぎると、その価値も狂ってくるだろう。
現代社会で問題なのが、グローバリストたち、ディープステートたちの存在だ。言い換えるなら戦争屋であり、結果至上主義者であり、拝金主義者であり、全体主義者であるが、彼らも神仏の子であり、自分たちの考えこそが正しいと思い込んでいるだろう。
テレビやラジオ、新聞などのメディアが発達するにつれて、多くの情報が流れ、洗脳する力が増してきた。自らが書物を選び、読み込み、考えることで、より正しい情報を得る流れが潰されてきている。
メディアに大きな権威が宿ることになり、覚者の考えを学ぶことが出来にくくなっている。
大手メディアの洗脳能力の強さには、驚くものがある。
NHKなどから流されている情報を意識して聞いているが、その情報のあやふやさだったり、間違っていると理解しているのに、その情報に影響された思いに傾いているい自分を発見することが有る。
要するに、環境に流されている自分が在るということ。
大川隆法総裁の教えで「正しき心の探求」を学んでいるが、理屈を理解していても、実践の難しさも判る。
抽象的になっているが、何があって考えているのかというと、様々なことが有り、自分自身を制御する難しさだ。
自身の体力や環境の事、魂の外にある外部要因によって影響されイライラする自分の不甲斐なさを感じることが多いということ。
未だ、悟りの門の入り口にも立てていない。
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