陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2023-09-15

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国家の基軸

それぞれの国にはそれぞれの現状があり、それぞれの栄枯盛衰がある
をれが何を原因として起きるのか
国家を考えるときに基本は、個人から始まり
個人の集まりである「家族」が構成して社会を造り国家を構成する


ということは、個人の資質が全てに影響するということ
ということは、個人に求められることは、自助努力の精神
教育という問題もあるが、この原点を忘れるなら多くの問題が起こってくる

教育ということを強く意識する必要が有るけれど、その教育には
基本は家庭でのことと、学校(社会)でのことと二つあるだろう
これを、社会とか国家に求め過ぎるとなると歪められる可能性が有る
個別の事情があるのに全体主義的な判断をされると狂いが生じる
そう考えると、今、社会が混沌として崩壊の危機があるのは、この「家庭」の崩壊が有るのかもしれない

祖父祖母、父母、子供たちという三世代を基本として小さな社会を基本としているような家族構成なら色んなメリットが有るだろう
自由の考え方も影響するが、一人暮らしは気楽で自由で嬉しい面はある
しかし、色んな面で問題も出てくる

色んな家庭があり、色んな課題を抱える
社会問題としても行政が関わらなければならない面も出てくる
治安も含め教育や介護や健康のことなど頼らざるを得ないこともある
問題の大部分を社会や国家に頼ろうとすれば、税金という面で負担を余儀なくされてしまう
その国家が行うことが適切ならまだマシだろうが、往々にして狂いが生じる
要するに、少な過ぎたり多すぎたりすることだ
結局、良い行政を通り越し行政行政をも通り越し、悪い行政となりかねない

大体が、良かれと思ってやり過ぎて個人の自助努力の精神を壊してしまう
それが、今、日本だけではない世界の現状だろう

要するに、社会主義とか共産主義の社会がおかしくなる原因はここにある
多くの税金を集め、優秀と思われる政治家や官僚たちに任せていると、どんどんドツボにハマっていく
日本人の民度が仏教や神道や儒教などで担保されていたために、資本主義社会であっても次第に社会主義、共産主義的な要素が入り込み優しい(過ぎる)社会が出来てきたのだろう

最悪なのは政府に頼り過ぎることだろう
必要なところに大きな資金を投下することは大切だが、やり過ぎてはダメだ
国民の自助努力の精神を強くする面とか、国力をアップさせることに莫大な資金を投下することは善である
善の循環が起きるからだ
この善悪の判断が、信仰心の欠如により狂ってきている

家族制度のトップに居るジジババの価値観を参考にする必要が有る
もちろん、普通のジジババ(自分の家系を中心に考える)ではない、最高最善のジジババをイメージして判断するならば、子や孫にとっても良い判断が有るだろう

本来なら、神仏の視点で考える必要が有るけれど
私も70を超え孫が多くなってきて、仏法心理を学んできた御かげで昔より考えが広く深くなっていると思う
最高最善最大最強のジジババ(全人類を我が子や孫のように感じられる存在)をイメージできるなら、神仏の判断とそれほど遠くは無いはずだ



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