陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2023-06-03

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自殺の増加

子供の自殺者が増えているという
その対策が様々に言われている


それを聞いてなぜ?という気持ちがわいてくる
的を完全に外している

要するに、自分で自分の命を絶つ方向にハンドルを切っているという現実
しかし、死にたいと思っても生き続けるという方向にハンドルも切れる
この二つの方向が有る

では、何故、死ぬという決断をしたのか
その何故を考えなければ問題の解決ができない

私自身、死にたいと思ったことは無いが、自殺を想定して考えたことが有る
褒められるようなことではないが、自堕落な生き方が行き詰まったとして、自分の整理の仕方として考えたのだ

その時考えたのは、生真面目に生きようとしているけれど本当にそれで正解なのだろうか
やりたいことを無理に押さえつけず、法律をすり抜けて、頭を使いうまくやるだけの度胸が無いだけではなかろうかと疑ったのだ

そこで、自分に与えられている時間を知っていなければ、考えても無意味だろうと思った
自分に与えられている時間はどうなっているのかを考えたのだ

仮に死にたいと思うようなこと、死んだ方が良いだろうというのが有ったとして、そう本人が判断したのなら、それに反対する理由は有るのかということも考えた
一時、家族や友人を悲しませることになるけれど、自分の苦しみや辛さを代わってもらうことが出来ない以上自由ではないだろうかと考えたのだ

そこで、死後の世界の有無を考えた

当時は、まだ無宗教の信者であり、神仏など信じてはいなかった
ただ、その時の答えは、判らないということだったけれど
知っている事実だけを集めてみても、無いとは言えない、おそらく有るだろうという結論だった

そう思った原因は、過去に透視力とか念力とかやっていて、目に見えないが不思議な力学が働いていることを理解していたこともある
自分の思ったこと、行ったことは、何らかの形で見えない世界で実現する可能性が有るだろうと思い
実現する以上、自分がその責任を負わなければならないことになるだろうとも思った

結局、それまで通りの生き方で来たつもりだったけれどた
それでも、歯止めにはなっておらず、もし自堕落な方向にかじを切っていればと考えると、とても恐ろしい

30歳ころだっただろうか、その時に図にして考えてのが次の図の原型に当たるものだ

死後の世界

結局、宗教が軽んじられ誤解されていることが根本原因
宗教の使命は、真実を教える事
真理を知ることで人生を間違った方向にハンドルを切ることなく
その与えられた命を与えられた時間、全うすることだ
宗教を頼るものとか、救いを求めるモノとか
何かを貰えるもの、与えられるものと思って求めているのかもしれないが
真理を学ぶという重要な視点が抜け落ちている

一番大切な、しかも目に見えないものを知ることなく
真に幸福な人生を送ることが出来ないし
その周りも幸福にすることは出来ない

創価学会のようなご利益信仰がまかり通って評判を落としている
もっと最悪な悪魔信仰がご利益を餌にはびこっている

確かに何事も同じで、何らかの御利益というか、何らかの幸福への道筋が見えない限り、そのことに関わることは無い
しかし、その片目だけで見ていると足元をすくわれる
両目を開けて、もう一方の御利益につながる原因を見なければ
簡単にトラップに引っかかってしまう
真理を求め真理を学ぶことだ

思考の構造
この図で表現しているように、人間は損得(陽)と好き嫌い(陰)で判断している
自殺するには理由が有り、いやなことが有って命を絶ちたいと思うのだろう
そして、死んだ方が得だと考える為に自殺を選ぶのだろう

しかし、考えるべきは、好き嫌いの判断も損得の判断も本当に正しいことだろうかということ
その行動は、本当に自分にとってプラスなんだろうか

必ず物事には、二つの面が有る
好き嫌いという判断は、むつかしいだろう
これは、魂の成長という願いが込められ課題として与えられているという真理を知らなければ難しい

そして、損得の判断も難しいだろう
本当に死ねば全てが終わり、人生を消え去ることが出来るなら、それも良いかもしれない
周囲を一時悲しみに落とすだけで自分が救われるなら、数歩譲ってそれでも良いだろう
しかし、肉体は死んでも魂の死は無く、魂は残りの人生を生きるしかなく、あの世に帰っても魂のありのままの世界に行くとすれば、その地獄的な心境の世界に行きたくは無いだろう
損得で考えても、損な道を自ら選ぶことの愚を犯すことはない

経験として、ここまで生きて来て、縁の有った方で自殺した人が二人いた
死後の世界が有り、死んでも自分は無くなることはなく、不幸から逃れられない事など
説明していたつもりだったけれど、その説明が相手の的に当たらなかったのかもしれない
相手の感情に寄り添うことが出来なかったという面と真理を伝えきれなかった面が有るようだ

「地獄の法」で教えられているように、自殺は地獄の世界につながり、決して選んでよい道ではなく、逆に悲惨な未来を引き寄せることを知らせるべきだったと思う
https://www.irhpress.co.jp/special/the-laws-of-hell/?utm_source=IRHweb&utm_medium=TOPbanner&utm_campaign=LP_Laws-of-Hell

当時は、学び始めて日が浅く、あの世は有ることは理解もし、信じてもいたけれど、天国地獄が有り、地獄が現実として有り、その悲惨さを考えられなかった
昔、お寺で見た地獄絵図が実際の現実として魂に起きることを理解できていれば、説得にも力がこもっていただろうと思う

経済活動でも同じことで、バラマキなどの利益誘導など、自分が得られるプラスの面ばかり見ていると必ず足元をすくわれる
世界中がバラマキで政治が行われ、バラマキで選挙の結果が動かされる
財政出動でも同じことで、それ自体は価値中立だが、それが自分に直接ご利益の有ることなら支持するが
直接恩恵が及ばなければ支持されないとすれば、あまりにも動物的な社会であり、人間の住む社会としては自滅せざるを得ない可能性がある

宗教とは、真理を教え学ぶものであり
宗教の復権がなされなければ、自殺者が増えるが如く、自らが選んだ道により、すべては滅びに至るかもしれない
苦しみの世界に投げ込まれ、つらい思いをすることになるのだろう

地獄の世界と同じように、心を入れ替えなければ、浮かび上がることが出来ないだろう
そうなる前に、心のハンドルを切り替えなければ、地獄へ落ちる



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