陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

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量子力学

及川さんのサイトの縁で田坂氏の講演録と量子力学関連のユーチューブを聞いて思ったことで、フラクテルの森の考え方との共通する面を感じた

「完全保存バン-悪魔の引き寄せ法・天使の引き寄せ法-描くキャンバスが赤く染まる-それも量子物理学では許される?動画あり!米海兵隊50名がUFOを目撃」
https://www.youtube.com/watch?v=2qSZMqdsObo


光の性質は、何かというと粒子と波の二つの面が有るということは、知ってはいたが、それが何を意味しているのか考えたことが無かった

しかし、世の中のことを陰陽学的に見始めてから久しぶりに思い出して調べてみるとこれも陰と陽の関係だろうと思った
波が陰で粒子が陽だ
波とは波動であり思いでもある
粒子とは、波動が具体化した結果であり陽の世界のように考えられる

世界は陰と陽の要素で成り立っていると言われている事にも関連する
量子物理学では、光だけでなく、すべての物が素粒子でできており波の性質と粒子の性質を持っているということなのだろうか
まさにフラクタルであり、根源なる存在が投げかけられた波動が粒子として顕在化しているというだけなのか

万象万物、波を持ち各自それぞれの波動を出し自己展開しながら目に見える形に顕在化している
ということは、最初に波動が有るということ
最初に思いが有るということ
次の図で、何度も言っているけれど、「思い」が大切だということ

私たちの肉体も元なる存在の思いで粒子として目に見える形で存在している
その中に、私たちの魂も肉対処機関の魂も同時に存在しそれぞれの波動に基づい協力し肉体生命を維持しながら、それぞれの仕事をしている

スライド3

田坂氏の言葉には感動するけれど
不満を感じる部分が一つある
これが非常に大切であり、ここを外すと大きくハンドル操作を間違える可能性が有るということ

この宇宙が一つの法則の元に在ることは理解して、その大いなる力によって、導かれていることは理解されているのだが
それでも、あまりに表面的すぎるのではないだろうかということ
真理を理解されているようで有りながら、それでも陰陽の陽の部分でとどまっておられるように感じてしまう

なぜかというと、私たちの肉体がなぜ、このような形と機能を有しているのかと考えるなら、単なる合理性ばかりでないからだ
例えていえば、今、色んな形のマグカップを作っているが、機能性だけで作っていない、形から受ける感覚でいろいろの形を作っている
おそらく、初源なる存在の波動(思い)の中にも複雑系の波動があっただろう
デザインを決めるにしてもシンプルであっても無限の形が有るだろう
そこに神の意識が働いている可能性が有る以上、創造主の意志を忖度すべき余地を開けておくべきではないだろうか
神の意志、創造主の願いが、物理的法則の元にだけ有るとは考えられない

田坂広志氏の死生観の話にも有るが、その決意に重きを置かれ過ぎている
真理の面からその決意が補完されていることの説明が無いことに不満を感じるのは私だけだろうか
私には、彼の言うような決意は不足しているが、真理を学びながらその境涯に至ろうとしている、その違いかもしれない



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