陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2023-04-05

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こども家庭庁

また政府が大きく太る
そして、その財源問題も出ている
今までも子供のことに関する仕事は政府内で当たり前に行われてきただろう
しかし、新たに省庁を増設されたが、本当にそれが良い仕事に結びつくのか


逆に、いかにもやっています観を出すためにやりすぎる面がでないだろうか
何事も、足りなくても問題だが、やりすぎる問題の方が深刻だろう
そもそも、いろんな問題が起こるけれど、対処療法でいろんなことをやるのだが
やればやるほどひずみを生み出し問題解決どころか、新たな問題を生み出し
社会を混乱させることにもなりかねない

要点は、その本質を深く知ることだ
この省庁が創られた背景には少子化問題が有るのだろう
経済の低迷が少子化に有るような刷り込みが行われたりする
労働人口の減少もそこから来ているとも言われる
そのように見えはするけれど、本質はどこに有るかと言えば
もっと前に有る原因を見て、そこを解消しなければならないのに、その解決を厭い責任を別のものに転嫁させている
たとえて言えば自分の不幸を環境環境のせい他人のせいにしているようなものだ

全部書くのは大変だが、悪循環が起きている

フラクタルの森のピラミッド

基本ピラミッド

結局、人々が働きその仕事で生み出した価値をどこに移転させてきたかということだ
その価値(お金)をどこに投入したのか
政府は、そこから生まれたお金をどのように集めどのように使ってきたのか
個人レベルと国家レベルでのお金の出し入れがどのようであったのか
そのお金の使い方が少子化問題につながっていたことに気づく必要が有る

個人レベルで考えると、生活が豊かになるとさらに豊かさを求めるようになる
ただ、家庭レベルで考えるのではなく、自己レベルでゆとりや楽をしたい気持ちになると子供は少ないほど良いことになる

私が子供のころ、農家の家庭は子だくさんだった
小学校の頃でも農繁期になると同級生の子らは休みがちだった
年金制度も昔はどうだったか詳しくは知らないけれど
多くの子供を育てておくと老後が安心だということも有った
子供が多いと大変だけれど、子だくさんのプラスの面が多かったのだ

それが、老後は政府が見てくれるということなら
自分が稼いだ価値を子育ての大変なところを避け、自分のために使いがちになる
今の年金制度では、老後資金の原資は若者が負担している
積立金は、使い込まれて破綻し、積み立て方式から賦課方式とかに変わらざるを得なくなっている
要するに、自分は子育てを避け、他人の育てた子に自分の老後を見させていることになる
制度的に無意識に少子化にアクセルがかかる

更に、年金で老後を安泰に暮らそうと思えば無理して働くことも無い
悠々自適の生活を求めがちだろうし、労働人口の減少はこちらからも起こる
更に老人が動かなくなると健康生活からも遠くなり医療費などもかさむようになるだろう
健康保険制度でも全体の出費が増え、その赤字補填のために更に税金が必要になる

悪循環が悪循環を生む
結局、この循環に一つの法則が有ることを知るべきだろう

表面的にこの悪循環を止めようと、子育て資金がばら撒かれる
年金の積み立ての崩壊で支給するために税金の投入が必要になる
要するに、本来必要でなかったもので莫大なお金が出ていくことになる
その為に増税が必要になる
国債発行という借金で賄うということも有る
ただ、借金の残高は増え、借金で借金を返すような個人レベルではあってはならない形にまでなっている
政府の借金は国民の収入になるのだからといってMMT理論をかざす人もいるが
無駄な支出は、その資金の無駄さを含み、また悪循環し必ずどこかで
その偽物の価値が浮かび上がり行き詰まるときが有る
今、世界中で起こり始めている金融危機はそれと関わりが有るだろう
悪循環が悪循環を巻き込み、戦争という形で景気刺激策を実行しようとする不心得者もいる
代理戦争で人々を苦しめながらそこで稼ごうとする人も居る

目先のことで動かされ、自らを動かすようなら、偽物の価値を追い求めているのであり
本物の幸福を求めていることにはならない

子育てでもそうだ
目先大変で苦労も多いし、お金も沢山かかる
損得勘定(左脳的価値観)だけで考えれば少子化になって当たり前だ
しかし、右脳的価値観で考えるならもう一つの見方が有る
子や孫の成長を見ていると、なんとも嬉しいのだ
色んな子や孫も居て悩みの元になることが有っても
嬉しいのだ

幸福    (幸福論)

   お孫さんを抱いて
   幸せそうな笑顔を見せているご婦人に聞いてみたことがある

   「今までの人生の中で一番幸せだった時期は?」

   今がそうだと言われるのかと思ってのことだった
   しかし、その答えは
  「もう一度やれと言われたら二の足を踏むけれど、
   自分の子育ての時期が一番幸福な時だった」と

   以外でもあったが 納得もした

   そしていろんな人に同じ質問をしてみても
   異口同音に同じような内容が返ってきた

   自分の存在が必要とされ
   自分の仕事が 子供とはいえ
   他者の役に立っていることの意義
   このことは自分自身の存在意義とも深く関わって
   人間とは何か? 何のために生まれ
   何のために 生きているのか?
   この問いに対する答えでもあるだろう

この感覚が、おそらく経済活動の中にも有り
目先の自分の得ることのできる成果ばかりを追い求めていると
不幸が広がってしまうのかもしれない
眼には見えにくい、しみじみとした幸福を感じたいものだ



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