陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2023-04-03

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株式のこと、債券市場のこと

株式のこと、債券市場のことは全く分からないけれど
半分以上何を言っているのかわからないけれど、なぜか面白い


世界のお金が何に流れて行こうとしているのか
人々が、何に価値を感じて何にお金を移動させているのか
色んな市場が有り、いろんな取引が有り
色んな儲けるための仕組みがあり、そこに色んな目論見が有り、そこにお金が移動していく

元をたどれば、その原資になっているものといえば
人々が創造した商品やサービスに含まれている価値だろう
しかし、考えるとそう単純でもない
政府の仕事が大きく関わり、そこが創り出したサービスや商品もある
インフラ整備や外交とか国防とか警察消防など大きな要素を占めている
通貨の発行、金融政策などもとても大きな要素だろう
とにかく、人類の創り出した価値が債券市場などに流れて世界を動かしている

その中で偽物の価値が含まれているなら、色んなところでほころびが出てくるだろう
それは、どこに多く有るだろうと考えるなら政府の仕事だ
民間の仕事は、生活に密接にかかわることが多く価値の無いものは見捨てられやすいけれど、政府の仕事はそうではない
通貨発行とか徴税権などで大きな資本を持つし、通貨の発行などの金融政策などは直接人々に影響を与えることになる

その影響の大きさから、政治の意味が昔から言われているのだろう
政治、まつりごととは、神に代わって執り行う事だという
この政治に、神の意志が働きにくくなるとどうなるか
神の願いと離れてしまうとどうなるか

それが、今、世界中で露見しているのだろう

そのように見ると
何で政治とか経済とかに関心があるのかと考えるとわかってくる
直接、間接的に私たちの生活に密接にかかわるからでもあるが
国を構成している、民族や企業や家庭や個人、全ての縮図が含まれていて
法則として、フラクタル的に関わり、その法則を知るということは
神の創られたこの世界を知ることにもなり
とても知的な生活を味あわせてくれるからなのだろう

結局、表面に出ている数字や結果ばかりを見ていると本当のことは解からないということのようだ
目に見えない、目に見えにくいモノを見なければ見えてこない
複眼で見て、長所とか短所とか、他者の価値判断とか総合的に目を開けておかないと見えてこない
結果ばかりに振り回されていると騙される

結局は、人の心の中に在る、本物の価値観
信用だとか色々あるが、真善美という価値観を繰り返し考えることで
人間という存在の中に組み込まれている本能の一部が浮かび上がってくるようだ

要するに、神の子、仏の子として本質が出てこない限り
真なるモノを見出し創造主の願われている夢を実現することは出来ない
創造主の願いを無視し自分勝手に生きる道も現実には有るとしか言いようが無いけれど、果たして、それで本当に幸福かどうかということを考えるなら、違うという答えを出すしかない

この世でも現実に悪事をしながら生計を建てている人たちも居る
良かれと思いながら悪事に加担している人たちも居る
そういった人たちのお金の使い方を見るならば、どう見ても幸福を感じていないために、それをごまかすかのような使い方をしてしまうようだ

「仕事の目的は社会貢献にあり、その結果目標として儲け(利益)が有る」
儲けとは、お金と翻訳しがちだけれど幸福ということでもある
自分の仕事がお役に立っていると実感できれば、それだけで幸福のはずなのだ
お役に立っているという実感がお金という数字に出ることも有るけれど
それ以外にもある
死後の世界では、その本質が評価され、本当に価値ある仕事だったならば
お金というモノではなく、神仏からの評価となり、光となって降り注ぐもののようだ

もちろん、あの世にはお金も持って行けず、人々の評価も偽物の評価ならば光とは反対のものとなるだろう

この世のお金が真なるモノであり、本当に価値ある会社とか、本当に価値あるものに集まっていくならば、素晴らしく良い世界になるだろう
目先の儲けばかりに振り回されているならば、そのお金に含まれている価値も消えて行くしかないのだろう



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