FrontPage/2023-04-01
真なる世界の多様性
真善美の真に深く関わる「世界」
当然ながら、美や善と同じように同じように多様性があり
違いも有り、当然、格差もあるだろう
&show(): File not found: "auto-6PcOzz.jpg" at page "FrontPage/2023-04-01";
あの世、霊的世界が存在することが真実であるが
その霊的世界がどのようであるのかということにおいては多様性がある
宗教においては、基本どのような宗教でも天国と地獄という世界が有る
地獄からからこの世に生まれることは出来ないけれど
霊的には影響を与え関わることが出来るという
そして、地獄ではなく裏側の世界とも言われる
妖怪の世界も天狗の世界も仙人の世界も有るという
神道には、地獄という世界は無いようで、どうやら、このような世界が深く関わっているようだ
天国地獄がきちんと分けられていないということは、善悪の価値基準が希薄ということのようだ
あの世、霊界が有るということは現実であり
そこには多様性があり、事実としていろんな価値観もある
そこで、その多様性を認めるかどうかという課題が生まれてくるのだろう
そこで、やはり真なるものを求めるならば
創造主という存在からの視点が大切になるのだろうと思う
霊界の多様性の中には、極端なモノとして悪魔なる存在がある
主なる神、創造主に反抗し対抗する悪魔を認めるかどうかということ
この世でも現実には様々な価値観が有り、それぞれに納得してそれで良しとして受け入れている
善も美も多様性が確かに有るが、創造主から見た善と美もあるはずだ
悪魔や悪霊、幽霊であれその存在を許されているという現実がある以上
その存在にある意味の価値を認めておられるのだろう
自然界の中には、毒蛇だったりウイルスだったり、ばい菌だったり、人々から忌み嫌われるような存在も許されているようなものかもしれない
創造主の意識の中には、人間の想像を超える価値観が有り、学びの材料としても多様性を用意されており、間違いも失敗も全て成長の糧にしてほしいという願いが有るのかも知れない
西洋では、昔からなぜ天使が堕天使となり悪魔になるのかという議論も有るようだが
考えてみれば、私たち人間の世界と同じなのかもしれないのだ
フラクタルなのかもしれない
似ている
大川隆法総裁の人生を見ても、離婚から子供の非行、様々な経験を通して学びの基本を示しておられるようだ
神格を持たれるなら、完璧をどうしても私たちは求めてしまうけれど、そうではない
完璧な人生を求めてしまうけれど、教えの中にも有るがそのような不自由なモノではないようだ
完璧を求める人生がどれほど不自由で間違いを起こしてしまうのか
多様性を認めつつもより素晴らしいものを一緒に求めようとするべきだということを学んでいる
真なるものとは、神仏が、創造主が、主なる神が、我々の魂に求められているモノ
創造主の願い、その理想を私たちも求めようとするべきなのだろう
真なるものとは、正しき心の探求の先に有るものではないだろうか