陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2023-03-27

Top / FrontPage / 2023-03-27

三権分立、司法制度を考える

三権分立とは何だろうか
司法・立法・行政ということ
立法が有り、行政が有り、司法という立場がある
ここでも「真・善・美」という価値観を捨て去ることは出来ない

立法と行政は、知性と理性の問題であり善悪の価値観が及ぶ       
そして、反省としての司法が有るが、美醜の価値観が絡んでくる
三権分立に潜んでいる価値観は基本的には善悪と美醜の問題が有る

ここで出てこないのが真偽の問題だ


物の価値観で法律を造られ、政治が行われるなら
そのまつりごとがまともである保証は無い

そして、司法をチェックすれば真善美の真なるかどうかをどれほど考えているかが解かる
ある意味、とても責任重大なことだ
ようするに世界の見方を間違えていると、善悪も美醜も逆転する可能性が有る

次の図の右左で価値観の判断は違って当然なのだ

死後の世界

真なる世界は、死後の世界が有り転生輪廻しながら魂の向上を目指している世界である
それとも、あの世など無く、偶然に生まれ、単にこの世で切磋琢磨して死ぬだけの世界であれば、結果だけで判断すれば良いだけになるだろう
美醜のみで判断であり、それに関わる善悪の判断だ

ただ、善悪の問題は、立場の違いやその人の価値観によって左右される以上、安定はしない
力の強い者、その世界を支配している者の善悪で決まる
それが、ただ一人の価値観で決まるのか
多数決で数の論理も加わって決まるのか
どちらにしても強引さが付きまとうのだ

あのイエスキリストにしても
最後、処刑されるか恩赦を与えられるかどうかは、そこに集まった大衆の意見で決められたようだ
その判断に、その価値観が正しかったかどうか
どのように詭弁を使おうとも正当化は出来ない

なぜ、イエスは処刑されなければならなかったのか
結局は、その時代に生きた人々の考える正しさが善悪の基となり決められた

真偽という価値観が、人々の考える善悪という価値観に負けたということだ
それほどに、真なるか偽なるかを見極めることは難しい
真なる価値観に沿わない善は、結局は悪になり、その光景は後で見ると醜い光景として残る

考えれば考えるほど真理という課題は重要だ
いつ、どこで、だれがという世界をどう理解するか
ここに間違いが有ると、善も美も有ったものではない

結局どういうことかというなら、正しい宗教、正しい世界観を求めない限り
善も美もあり得ない
政治も経済も醜くなる
人々の生活もそれに準じて悲惨なものになるだろう

私も経済の細かなことは理解できないけれど
政治のことを考えると、世界中、善悪と美醜がひっくり返っているように見える
世界が今、二分されているという
これは私個人の視点からだが、善悪と美醜が逆転しいる人たちと
まともな人たちの分断であり対立だ
要するに悪と善との対立とも言えるだろう

悪に加担する人たちが多くなると、経済的恐慌も起これば戦争も起こる
結局その原因は、真なるか否かに有る

霊界は在る
創造主も神もおられる
しかし、道を間違え善悪を違え、美醜を間違えた悪霊や悪魔も存在する
それらの霊的影響を私たちは常に受けている

真理を求め、真善美という価値観を求め続けない限りユートピアは夢のまた夢になるだろう

&show(): File not found: "auto-6PcOzz.jpg" at page "FrontPage/2023-03-27";

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

備前焼