陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2023-03-21

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要点

フラクタル陰陽学、もしくは玄明陰陽学としているが
この陰陽学の面白さを説明しておこう


フラクタルと言っているように
同じ形を繰り返すように全てが似通っている

一言で強引に言うとするなら、全てが陰と陽の二つにわかれるということ
「左目と右目」が陰と陽にあたる
左目は、右脳的管轄に入り
右目は、左脳的管轄に入る
両方が機能することで物事は立体的に見えるし
立体的に物事を考えることも出来る
ところが、人々は照準を合わせる時に片目で見やすいように両方を使わずに蛇行しやすいのだ

この右脳的なもの(陰)と左脳的なもの(陽)で全ては創られている
陰とは、見えにくく
陽とは、見えやすい

この陰陽の関係はすべてにある
5W2HのWは陰にあたり、Hは陽にあたる
整理すると思い(原因)は陰であり、行い(結果)は陽である
他者と自己の関係も陰と陽であり
右脳的感覚と左脳的理性も陰と陽である

ただ、時折この陰と陽の関係が逆転し、目に見えにくかったものを表面に置く場合が有る
これが左翼思想というか、リベラル傾向を持つ

この地球は、右目を中心に観るように設定されているという
陰の見えにくいものをなおざりにし易い世界だ
陰陽共に大切なのだが、片方だけを観るようになると蛇行し易いのだ

片眼で見る代表選手たちが、様々な問題を起こす
結果を中心とし、自己を中心として
原因や他者を踏みにじる
その傾向性が蛇行すると、優しそうな立場をとる場合が有る
結果に反発し、結果平等を求める
他者を優先して優しそうに見えるけれど、利用してしまう傾向を持つ
自己を中心に考え、自分の評価という結果にこだわり
自分が野党側の場合、嫉妬心から逆の立場をとるが、立場が逆転すると本心が現れ、全体主義となる
マルクスなどもこの部類だろう

要するに諸悪の根源は、両目で観て考えないせいなのだ

今までは、共産主義、社会主義、と資本主義の対立であったかもしれない
左翼対保守主義のように対立していたのかもしれないが
ここに来て、自己中で結果至上主義の人が増えすぎたせいだと思うが
左翼と保守という分類は出来なくなったようだ

日本の自民党の中には、共産主義者も多い
アメリカの共和党の中にもリノと言われるようなニセ保守も居る
要するに片目の人が多くなっているということ

極論を言えば、今、世界を二分しているのは
片目で観がちなグループと
両目でしっかり観ようとしているグループだ

さらに追い込んで言うならば、神仏、創造主の視点を入れようと努力しているグループと
あくまでも、自分という個人の利得を中心にして考えるグループだ

信仰あるものと信仰なきものの対立でもある
その対立の中に一般国民も巻き込まれ全員が載っている大きな船が
座礁して沈没の危機にある
どちらに舵取りの判断を任せることになるのか
聖書で言われるハルマゲドンが起きているということだ 

当然ながら、このハルマゲドンという対立は個人の中でも起こっている
この世で生きている人間とは、何かというと
基本的に自己を中心として、結果にもこだわりながら生きていかなければなりません
ただ、それが過ぎると悪い子になるのです(足らなくても同じです)

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