陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2023-03-11

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気づき

このところ色んな気づきがある
不思議なくらい新たな発見がある


窯焚きの時も手伝いの人がやらかしたことで𠮟責したのだが
後で、それと同じことをした方が良いだろうというケースがあった
それまでは、こうあるべきだという思いに縛られていた
しかし、ちょっと視点を変えただけで
そのプラス面を見つけることが出来たのだ

後半に入り、ヨコ炊きに入ってのことだ
常に焚口に薪をかけて薪の供給をするのだけれど
状況によっては焚口を空けておくということも有りだということ

自分の中では常識に思っていたことが、そうではないことも有る
明らかに失敗ではあるが、そこから学び取るべきことも有る

思い込み、常識、定理、定説、様々に行動規範は創られてきたけれど
変革の時が来ているのかもしれない

国家神道と仏教の関係
日本は、基本は「神道」によって国づくりがなされてきたのだろうが
その神道にも危ういところが有ることを学んだ
聖徳太子により仏教が日本に入れられた意味
神道には教義が無く儀式しか無いところに
仏教という教義が入ったことの意味
大戦前に仏教を脇に追いやり廃仏毀釈が行われ
運が悪くなり戦争に負けたことの意味
教義が無かったという神道の問題は闇につながっていたこと
心の教えの中身が希薄だったところを仏教が補っていた重大な意味
神道は妖怪性を帯びていた事実
天照と妖怪お多福の共通性と問題点
今まで神道に疑問を持ったことは無かったけれど

今まで考えても居なかったことを考え始めた意味は大きい



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