陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2023-03-05

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「限りなく優しくあれ」

優しさにも良い子悪い子普通の子がある
良い優しさも悪い優しさもある
もちろん良い優しさについては限りなく強める必要はあるということ
幸福の科学出版から出されているこの書籍は、何度読んでも感動する
家族全員に持たせた本でもある

今朝の天使のモーニングコール(岡山FM放送7時30分)では
「優しすぎる社会」の問題点が扱われていた


私も良く使うが「地獄への道は善意で舗装されてる」という言葉がある
今、まさに優しすぎ、しかも、人々を堕落させる優しさが社会をダメにしている

本当に優しさとは難しいものだとつくづく思わされることがある
大川隆法総裁の長男などが、私から言えば完全に沼地に足を取られ
幸福の科学の邪魔をするような動きをしている

まだ、破門される前には映画にも主演、講演会の前振りで伴奏もされていた
正直、なぜなんだろうと思うほど
彼の雰囲気から出てくるものは、良くなかった
音楽も聴くに堪えなかった
霊感のない私でも、なぜ、そんなに甘やかすのかと不思議に思うほど最悪の波動を感じていた
だが、先生は親として弁護されるようなことも言われたことがある

甘やかされて育ったのだろうと思うしかなかったけれど
どうやら実態は、先生は常に忙しく、前の奥さんや周辺のお世話係の人たちが関わり、その裕福な恵まれた環境の中で育ったようだ

30歳にもなれば親を離れ、責任ある一人の人間として立っている時期だということも有る
子供たちの前世も霊言で明かされているが、今世のような環境に育つことは誰でも初めてのことでもあるし、新たなチャレンジをしていることは確かだ
あのビルゲイツであっても前世ではトマス・モアという光の天使だったけれど、今世ではその逆の働きをしているようだ

優しさと厳しさ、ともに難しい
新たな環境の中でどのように自分の魂を育てて行けるか
環境の助力も有るだろうが、それも功罪両面がある
自己責任で良いものを積み重ねていくことだろう

私も昨夜も娘とトラブルが有った
窯詰で疲れて帰っているのに娘の態度が荒れていた
自分では教育的に厳しく対応すべきだと感じたのかそのまま厳しさで対処したのだが
娘は生理中だという
全体の視点が無く言葉を荒げてしまった
考えれば、自己中でしか見ておらず感情のまま最悪の反応しかできなかった

優しさも厳しさも、相手の立場に立って考えるべきなのだろうが
子供(家庭)に対して難しいことであるなら
社会に対しては、もっと難しいことなのかもしれない

状況は常に変化が有り、相手の気根も常に変化し
こちらの状況も変化する
その流れの中を無事に泳ぎ切るためには
冒頭に挙げた「限りなく優しくあれ」という内容であったり
常に「正しき心の探求」する姿勢が不可欠なのだろう
神仏の視点から考えようとする努力であり
反省が不可欠だ



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