陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2023-01-29

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潜在意識の不思議

潜在意識
潜在意識を氷山に例えることがある
フラクタルの森では、大地に翻訳してみた


私の経験でも守護霊と思われるものから通信を受けることがある
明確に自分の意識からではなく、何者かが通信を送っている
もちろん、守護霊とは限らない
悪霊や悪魔である可能性もある

今までのいろんな経験を踏まえて考えるなら
確かに潜在意識なるものがあり、私自身と思い込んでいる個性の中に割り込んで来ようとする意識が有るということは信じるに足ることだ
表面意識だけでなく、潜在意識の中にある記憶が
退行催眠などでも明らかにされているように
あるきっかけで表面意識に浮かび上がってくることもある

まことに不思議なことだが
学べば学ぶほど、経験すればするほど
この図のように、人間の意識というものは、底知れない

もちろん、沼地に足を踏み入れるなら
悪霊や悪魔の指導が待っているだろう
反省して踏みとどまるなら大丈夫なのだろが
しかし、踏みとどまることが出来ない人々も多いようだ

最近のニュースを聞いていても多い
明確に犯罪と判り、刑務所に行くか死刑台に行く人々も多い
問題なのは、犯罪の仲間入りしない人々だ

それは、結局、善悪の判断が出来ないせいのようなのだ

画像の説明

善悪が本当に分かるためには、この図のような整理が必要だろう
神なる存在を意識できなければ、自と他の都合だけで善悪は決まる
弱肉強食、動物的な力関係だけで善悪は決まってくる

ということは、簡単に沼地に足を踏み入れることになるのだろう

DS(ディープステート)、ネオコン、グローバリストやその協力者たちは、間違いなく沼地に足を踏み入れている
今、現代社会は、この沼地に立っている人たちが多いのかもしれない

ウクライナ紛争を見ていても、間違いなく沼地に踏み込んでいる
このままいくなら、世界大戦まで行くだろう
核兵器が飛び交う時代も来るかもしれない

その原因は、自と他と全体の視点を放棄していること
事の経緯を見れば、悪魔が働いていることが判りそうなものなのに
このままエスカレートすることを許すのか

ただ、悲観だけをしていて良いわけは無い
一人一人が、自らの潜在意識の深い部分から
神なる意識をくみ上げることが出来なければ
神々も見捨てざるを得ないような時期も来るのだろう

しかし、なぜ、悪霊や悪魔は、人々を不幸の淵に追いやろうとするのだろうか
やはり、自己中すぎたりして
自分が得られる目先の評価や結果に固執しているからだろうか

自分が何も得られないとするなら、他者の幸福など知ったことではない
逆に困らせてやろうという気分にでもなるのだろうか

悪霊や悪魔の思うことは、正直言ってわからないわけでは無い
しかし、守護指導霊や天使、神々が願われていることも判らないではない
創造主の気持ちになろうとするなら、もっとはっきりする

自らがすべてを作り出せるなら
悪霊や悪魔の気持ちなど忖度することもない

しかし、子や孫であっても
その思いと行動は自由にさせている以上、考え違いをする者も出てくることは織り込み済みだろう
ただ、そのことに対処する中に我々の学びも有るのだろう

この世界は、魂修業の場として与えられているともいう
その魂修業を完成させるためには、より多くの人々がこの地球神の意志をくみ上げることが出来るかどうかなのだろう
より神近き思いを出せるかどうかにかかっているのだろう

この図では誤解を受けそうだが、神なる意識や創造主の意識はこんなちっぽけなものではないだろう
ただ、ちっぽけでも、同じような思いを出すことは不可能ではないだろう
その周波数さえ合わすことが出来れば、その指導を受けることは可能と思われる

何故なら、悪霊、悪魔の指導を受けようと思えば、しごく簡単だからだ



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