陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2023-01-24

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霊能力の危険

巷に霊能力を持っている人が様々居る

見えないものが見え、聞こえないものが聞こえ
当てモノも出来る


思い返せば、過去、いろんな人が周りにいた
親しい友人にも居たし、いろんな人と出会った
有名な人も居た

ただ、結論から言えば
霊的な能力と悟りとは関係ないということ
明らかにおかしくなっている人も多かった

やはり、常識的な判断
理性的な判断が出来なければ危険だ

本来は、誰でも霊的な生き物である以上霊的能力は有る
元々敏感な人は居る
しかし、敏感なのを敏感なまま興味本位で踏み込むと大変なことになるようだ
そして、知性理性的な学習を隅に追いやり、自己中で語り掛ける声に従い
動かされていると思わぬ方向に引っ張られていく

口寄せも出来ていた親しい友人は
10年以上前に亡くなったけれど
彼も一時期あらぬ方向に引っ張られようとした時期が有る
ただ、彼とは頻繁に勉強会をしていたおかげもあって助かった
もちろん、大川隆法総裁の書籍などだ
その言葉、教えの文章を読み合って議論を重ねていた
哲学的で抽象的な議論が出来る友人で、とても面白かった

そのような知的訓練などしていたおかげで危険な時は過ぎ去った
それ以後、トランス状態になっての霊現象は止めにした

彼も言っていたが、語り掛けてアドバイスをくれる霊人の声を聴かなくても
お互いの普通の会話の中にもそのような霊人の声は混じっているという
そうだろうと思った
霊の声を聴かなくても、いつでも霊的な声は混じっている
悪霊の声も混じっている場合もある
私自身もそのような声に振り回されていた時期も有ると自覚している
反省すれば判ることではあるが、その時には判らない
あの時は、間違いなくやられていたと感じることはあった

大阪時代の友人は、今どうしているだろうか
同時期に大川隆法総裁の本に出会い、読み始めたものの、彼はすぐに手放した
彼は、その後、霊道も開け拝み手のようなこともしているようだ

ただ、彼が先に縁の有った科学者で霊能力でも有名な人も言っていた
今のままでは、前世と同じように発狂することになると心配していたが
おそらくそんな感じになっているのだろうか。
最後、大阪であった時には霊的な見えないものを見る力は備わってきていたようだ
教祖みたいになっている可能性もある
道が違ってしまったし、
備前焼の道に入ってから会っていない

今更あっても仕方がないかもしれが
思い返せば、いろんな人との出会いが有ったけれど
色んな霊的な体験が有ったけれど
つくづく、「正しき心の探求」の大切さを思わずはおられない

結局、何が言いたいのかというと
霊的世界を無視して神仏を否定しても、悪霊、悪魔に乗っ取られたりしてヤバイけれど
霊的世界に興味本位で、他者との違いを示そうという思いの中にも危険が潜む
偉大なる常識人という教えも有った

やはり、真理を学ぶこと
一生学びは有る
死んでそのあとも学び続ける世界のようだ
創造主が、なぜ、このような我々存在と世界を創られたのか考えると想像は出来る
何とかその期待に添いたいとも思う

自らの人生だけでなく、多くの人生ドラマを感動を伴うようなものにしたいと願うことが大切なのだろう



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