陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

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前日の反省

昨日の記事を書いて
自費出版したいと思っていたのを、とりあえずまとめ上げ
ほっとして、昼前から工房で
ロクロを回して湯呑を作りながらユーチューブを聞いていた。
https://tenshi-call.com/broadcast/category/best-selection/

最近は、天使のモーニングコールをよく聞くことが有る
テーマに合わせて何回かの放送分を連続して流してくれるのでとても都合がいい。粘土まみれの手でも対応可能だ。
少しCMが入ったりするが、とても少ないのと、天国的な内容なので集中もできる。
  


集中は出来ていたのだが、いろんな言葉が心に届いてきて、
朝、書いていた文章を思い出し、とても大切なことに気が付いた。
仕事を切り上げて文章を書き直そうかと思ったけれど、翌日、書き足そうと思い直して湯呑の仕上げとロクロを終わらせた。

とても感動したと言おうか、反省させられてしまった。
何に気が付いたかというと、その時のきっかけになった天使のモーニングコールが何だったかというと「損得を超えた・・・」こんな内容のものだったと思う。

昨日書いた記事は、次の図を使って、死後の世界が有るということを知らせたい、伝えたいということだった。その番組を聞いていて、ふと思ったのが、昔、有るだろうと思った理由を考えると左脳的に考えてのことだけだったことに気づいたのだ。
絶対、そっちの方が得だと思ったことが理由だったのだ。
右脳的に悟って理解できていたわけでもない。自分も得だと感じるんだからといった程度だったようなのだ。

画像の説明
同苦同悲の思いのように感じては居たけれど、心の中に引っ掛かりが何となく有った。その引っ掛かりが何かわからなかったけれど、間違いなく、損得勘定で理解していただけだと思った。

なぜかわからないけれど、涙があふれながら仕事をしていた。
おそらく、超えられない壁が有ったのだろう。私はAB型だ。
AとかABは、OやBの人に比べると計算が入り易い。
今考えてみても、同区同悲の思いはあってのことだからよいではないかと思うのだが、損得勘定が入っていたと気づいた時、強くショックを受けた。
何かが足りないことに気づいたのだろう。
左脳的な打算がどうしても思考の中に入ってくる。

何が足りないか、判らなかった。
しかし、気づかせていただいたのだ。
キーワードは「感謝」だった。
その夜、ズームでのお茶会に参加しているとき、一人の人から少し気分を悪くさせられるようなことを言われたのだ。
相手も少し霊的なのだろう、シャーマンとか聞いたようにも思うが、治療関係もされているようだ。「感謝」というワードが出てきたときに、ふと私の口から出た言葉が、「感謝は難しい」だった。
「感謝」の大切さは理解しているつもりでいたし、霊道が開けていた友人も、霊的な苦境に有るときも「感謝」ということで対抗しようと盛んに努力していた。感謝の持っている力の偉大さは理解しているつもりだが、付焼刃的に使って感謝、感謝といったところで力にはなりえない。
お題目のように使っても仕方がないことだ。
しかし、なぜ難しいという発言になったのか、言いながら何となく違和感を感じていたのは事実だ。言いながらなぜ難しいのかと問いかけている自分がいた。

この「感謝は難しい」という言葉に非難の言葉を受けたのだが、この感謝がキーワードでもあったようだ。天使のモーニングを聞きながら涙が出てきた理由は、この「感謝」の思いとかけ離れていた心境だったからだろうと思う。
ただ、この図は自分で考えて作ったもので、その考えに沿って仏法心理を学んできた。しかし、創造主の存在や、現実にあの世が有り、天国地獄が現実に有ることなど想像したことも無かったのは事実だ。
確かに学ばせていただいている。学び、信じることが出来た背景には、多くの学びが有ったのは間違いが無い。

感謝についてもたびたび学ぶので、当然ながらイメージを広げて考えることが頻繁にある。
「感謝から報恩へ」ということでも学び、素晴らしい仕事が出来る背景には感謝ということが不可欠だとも学んでいる。在りとあらゆる存在に感謝の念を向けるべくイメージを広げようと努力するのだが、これは悟りそのものと一緒で本当に難しいと思う。
この方もおそらく私と同じくらいしか「感謝」を理解していないのだろうと思った。

「感謝の念」、これを本当に理解しなければ、本当に悟ることなければ、過去の偉人たちの心境など判りえない。あの戦争で命を投げ出して、日本を守り、故郷を守り、家族を守ろうとした人たちの、その葛藤など理解できないだろう。
表面的な動機で出来るものではない。天皇陛下万歳と叫びながら死んでいったのかもしれないけれど、その心境など想像できないだろう。
おそらく、似たような立場で自分の命が危険にさらされたときに、目先の損得で動くような人は、命乞いをしたり、穴の奥に隠れてしまうだろう。
おそらく、そのような気持ちも有ったかもしれないが、多くの人たちはそれを克服して戦死という結果を受け入れている。

吉田松陰が偉人たちの中でいつも頭に浮かぶけれど、自分の得にもならず、みすみす刑場にさらされるしかない方へと向かっていった。しかし、辞世の句などでもあるように、自分の命と引き換えに日本の未来を後の者に託された。命を懸けることで日本を守ろうとされたのだ。

常識で考えてみれば、なんと馬鹿なことをするのかというようなことかもしれない。戦時中の人たちも特攻隊など無駄死にだとも言われたりするけれど、歴史に残っている偉人たちの多くが似たような生涯を送っている。
確か天使のモーニングコールの中でも、大川隆法総裁の講演のこのような部分が流されていた。

その時、自分の心境と比較して、損得で考えてしまう、その傾向性に驚いたのだ。
過去の偉人たちと比べようもないけれど、なぜ、そこまで違うのか?
自分なら、常に損得で考えてしまうだろうと思うと、とても恥ずかしく涙を流すしかなかった。自分の命が危険にさらされるようだと、おそらく逃げ出すだろうと思った。

おそらく、その違いは、悟りの差でもあるだろうが、「感謝」の差でもあるのだろうと思った。私の偉人の中では、イエスとか松陰とかが特に強いけれど、神仏に対する感謝の気持ちが違うのだろう。その家族から与えられた愛情に対する感謝の気持ちが、神仏たちから与えられた愛情と相まって感謝の気持ちが高まっているからだろう。
そして、おそらく覚悟を決めるということが大事なのだろうと思う。
「感謝から報恩へ」という言葉は、因果関係そのものだ。

「与える愛から始めよ」という言葉も有る。
この愛の循環が、仕事でも人生でも、全てに通じる法則だ。
これら「与える愛」の学びは、全てに通じる。
与える愛から始まり、感謝から、そして恩に報いることにつながる。何事にも不可欠な要素である以上、与える愛の循環が出来ないということは、愛に対しても間違って認識している可能性が有るし、感謝ということも上っ面でしか理解できていないということだ。

心の中に、与える愛の種は有るし、それを循環させる感謝という心も有る。それがうまく機能しないとするなら、おそらく自分を中心に見すぎているのだろう。
まだマダ、自分を中心にして考えすぎる傾向がある。
自他一体の思いが大事だとは理解しているつもりだが、そもそも、「与える愛」そのものも自分のものに出来ていないようだ。
確かに、愛についてイエスも言われている
「隣人を愛せよ、汝の敵をも愛せよ、主なる神を愛せよ」
どこにも自分を愛せよという言葉は無い。
昔、興味本位で聖書を読んだときに、この汝の敵をも愛せよというところで涙が噴出した経験が有る。なぜ、ここでそういうことになったのか理由は判らなかったけれど、どうやら、前世の記憶の中にその学びが有ったようだ。いまだ自分のものにはなっていないようだ。

ただ、この地球という惑星は、「愛」を学ぶために最高の星らしい。
その為に宇宙人たちもこの地球に肉体を持って生まれたいらしく、UFOも常に大川隆法総裁の説法を聞きに来ている。
学ぶだけでなく、この愛の星を守るためにも飛来しているようだ。どうやら、多くの宇宙の魂が地球上で肉体を持ち修業しているために、その仲間たちが見守ってもいる。思いの世界でテレパシーで通じるらしく、頻繁にUFOを目撃する。うちの息子は、呼べるみたいだと言ったり、娘の旦那は、インスピレーションを受けて何の変哲もない風景を撮ると真ん中に小さく円盤型のUFOが写っていたりする。

ネットでクラリオン星人と名乗り「宇宙人は小学4年生」とか5年生とか言ってユーチューバーのサイトに出ていた子も言っていたが、(今年からは中1になるそうだ)この地球のような星は、この宇宙に二つしかなくてとても貴重な星だと言っていた。なぜ地球に生まれてきたのか聞くと、「愛」を学ぶことが出来る最高の星だという。この地球に生まれるということは、宝くじに当たるより稀な幸運なことだという。少し視点は違うけれど総裁先生も講演の中で同じようなことを言われていた。その証明でもあるかもしれないが、先生の講演会の上空には、必ずUFOが編隊で距離を保ち星のように浮かんでいる。編隊を組んでいることが多いのでそれとわかる。何年か前の横浜アリーナの会場では、昼間に100機以上浮かんで居た。

昨日まとめて済んだ最後の文章に、ここに書いたようなこともことも書いていたこともあり、何度も学んでいることのはずなのに、強く感応した原因になっているだろう。
まだまだ、修行途上で落ち込むこともあるけれど一歩一歩進んでいくしかない。しかし、この真理を伝えたく思う気持ちは強くある。
この過程の中で、おそらく魂が成長していくのだろうし、各人それぞれカルマというか、それぞれの使命も有るのだろう。
いろんなことがあるけれど、毎日唱えているお経の中にも「愛しあい、生かしあい、許しあえ」とあり、この同名の書籍もある。
これが「闇夜を照らす光なり」ともある。
とにかく、学びの多い宗教団体だ。



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