陶玄郷

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FrontPage/2023-01-13

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積極財政と財政均衡主義

MMTのせいだろうが、最近、積極財政を支持する議員が増えているようだ。
それとも関連して、コロナ過における支援もあるし、連続している不景気に対する支援も有るし、財政出動圧力が増して国債での借金が異常に増えている。


財政均衡と積極財政、要するに収入と支出のバランスのとり方だと思う。もちろん、バランスが取れる方が良いのだが、どのあたりがとれているというのか難しい問題だろう。
わからなければ、身近なことに引き寄せて考えるべきだと思う。

個人や家庭レベル、企業レベルでの財布のことを考えれば答えは見つけやすい。
個人でも企業でも、もともとある資金には限りがある。
国でも同じことで、それまで蓄えられた資金や資産には限度がある。

何か新たな事業をするのに資金が必要だ。
その為に自己資金で足りなければ、どこかから借金をするのは常識だ。
企業なら投資に対するリターンがどれだけ見込めるだろうかという判断が加わる。借金してその金利を含めて返済できる目途が立たなければ借りるのをやめる事が多いだろう。
しかし、家庭や国家の場合は違ってくる。
子や孫に投資する場合、その投資が身を結ぶ場合と無駄になる場合とが有る。先のことは見えないけれど、よほどのことが無い限り、教育に関することは出来る限りのことはするだろう。
国民に対する投資も同じだろうが、国の場合、災害支援とか、もし戦争に巻き込まれれば、そのリターンについてあれこれ言っておれないだろう。
ただ、多くの場合、投資は結果として実を結び経済規模が次第に大きくなることで、借金の額も相対的に小さくなり返済は楽になる。
その借金にしても、自国通貨での借金が出来るなら、問題は少なく、日銀に国債を買い取らせる方法も有り、なかなか複雑だ。
細かな金融の仕組みは判らないけれど、世界で類を見ないほど借金が膨れ上がっているのに、更に国債発行で借金が出来るということは、何らかの「信用」が有るということ、借金をどこからしようとも返済ができるなら問題は無い。しかし、さらなる借金が出来ないようになったり、返済不可能になったりしない限り、借金は悪ではないだろう。

要するに、基本は積極財政というか、投資の考え方は不可欠なようだ。しかし、その投資にも悪い投資が有ることを忘れてはいけない。

日本の場合、先の大戦で敗戦国となったときに復興資金が重くのしかかっていた。
国債を発行して資金を得ようとしても、自国通貨の円では出来なかった。ドル建てで借金するしかなかった。戦後、何年かかったか忘れたが、その借金を返してからは、円建てでの国債発行が出来るようになり、借金ができやすくなった。
もちろん、ドル建てでの借金を返済し、自国通貨建てでの借金が出来るようになった背景には、朝鮮戦争の特需も有り、国民の努力が有り、ドルを稼ぎ、外貨を稼ぎ景気を上向かせてきたからだ。

戦後、ドル建てでしか借金が出来なかったのは、日本の経済にまだ信用もなく、円建の国債を誰も買ってくれるような状況ではなかったからだ。もし、そこで、MMT論者が言っているように円で国債を発行して、それを日銀に買い取らせたらどうなるかということを考える必要が有る。円の量は増えて復興資金に不足はなかっただろうと思うが、国内だけで経済が回っているのならそれでも良いのだろうが、海外の製品が入ってこなくなるだろう。

円の価値を担保してくれるものが何も無いときに、だれが決済代金として円を受け取ってくれるだろうか。戦勝国のアメリカのドルには、信用が有る。その信用を担保としてドルで決済するしかなかなかった。
強引に円の量を増やしても、その信用を担保することが出来ず、紙くずを増やすだけのことになっただろう。

ドル建てでの借金を返し、円建てでの借金が出来るようになって、今現在が有るわけだが、その流れの延長線で国債の発行での借金が1200兆円とかに膨れ上がっている。国債の金利が上がっていないことで、さらなる借金が可能だということのようだが、なぜ国債で借金する時の金利が上がらずに済んでいるのか考える必要が有る。

今の円の信用とは何だろう。
銀行や保険会社が国債を買うことが多いらしいけれど、景気低迷の中で安全に資産の価値を維持しつつ利益を上げるためには国債を買うしかないといういうようなことも理由の一つに有るだろう。
国債での借金を支えてくれているのは、国内だけでもないだろう。
円の信用を支えてくれているのは、投資家たちの左脳的な判断よりも、右脳的な判断が大きく影響をしていると思われる。
損か得かを考える左脳的判断に加えて、右脳的な感性での信用が置けるかどうかという判断だ。
この二つが二重らせんのように絡んで判断をしているのだろう。

日本は、世界で一番の外貨準備高が有るという。要するに実感は出来ないけれど世界一の金持ちだという。
ただ、アメリカなどは、詳しいことは知らないけれど、金融的な操作で借金を踏み倒すことが出来るという。過去にもあったことだという。
この左脳的な判断は、左脳的な操作で消えて行きやすいものでは有るらしいのだ。

しかし、日本人たちの持っている国民性の信用は消し難い。
勤勉で真面目で、誠実なことは世界中が知っているだろう。
戦後の大変な時期を乗り越えて、戦勝国であるアメリカの経済に追いつき追い越さんとするほどに成長させてきた国民の力には、世界中が驚いた。
世界中の成長途上の国家にとっては、見本とされる国家だった。
それが、アメリカを追い抜こうとしたときに、アメリカの抵抗もあったのだろうが、アメリカの属国、植民地だったせいなのか、それとも、日本の政治家たちや官僚たちのレベル低下だったのか、自らの手でバブルをつぶし成長を止めてしまった。

その後も、大きくなり過ぎた政府は、もちろん良かれと思ってやってきているのだろうが税金を増やしたり国債発行で借金を繰り返したりしながら、大きな政府の資金を潤沢にしつつ色んな政策を実行してきた。
しかし、その仕事が効を奏さず加速度的に日本は貧乏国に成り下がろうとしている。

その理由は簡単で、
政府が質的向上を無視し、大きくなりすぎて、質の悪い仕事ばかりをするようになったためだ。無駄というよりも、やってはいけない仕事にまで手を出している。これは、子供の教育でもいえることだが、親が手を出してはいけないところが有るのだ。ダメおやじがどんなものかと考えればわかることだ。

その質の低下の原因も簡単だ。
その原因は、逆に、日本人の国民性の素晴らしさの奥に有る原因を探せば見えてくる。一言で言うなら「信仰心」。
日本人の精神を創ってきたのは宗教が有ったからだ。
基本は、神道だろう。しかし、その神道の神主でもあった聖徳太子が、日本という国の基礎を創り、精神的支柱としての天皇家と国家の主権としての政治体制を分けた。自らが天皇にならず、別の天皇を立てて国家運営に携わり憲法を制定した。その中で、仏教を取り入れ擁護した。
大きくは、この聖徳太子の仕事が日本人の素晴らしさの元を創ったのだ。
その聖徳太子を歴史の中から消そうとする勢力も有るように聞いたことが有るが、まさに今という時代は、その精神的支柱を無くしていっているために低迷している。

簡単に言えば、日本には神道の神からの視点と、仏教の仏からの視点と、儒教の天帝からの視点があったのだ。
目に見えない存在を常に意識する文化が出来ていた。
そのような存在がおられ、常に崇高なる存在から見られていると感じるなら、誰も見ていないからといってやりたい放題のことは出来ない。そんな中で「恥を知る」文化が根づいてきたのだろう。神仏や天からの視点が有るということは、客観的に物事を考えることが出来るということになる。
その判断に狂いが生じにくくなり、結局、運も良くなるしかない。
見えない世界からの支援も、当然あるだろう。神仏や天からの支援が有って成功しないということはあり得ない。

「信仰心」なのだ。
それなのに、その信仰心すらも結果主義、自己中心主義に堕している。
ご利益信仰で、何かご利益を目の前にぶら下げられると、騙されて、ツボを買わされたり多額の献金をさせられたり、選挙協力させられたりする。これは統一教会だけではない。創価学会も同じだろう。
目の前にどのようなニンジンがぶらさげられているのか、いろいろ耳に挟むことが有る。

その原因も簡単なのだ。
運営者も信者も、自己中心主義、結果至上主義に毒されて、神仏や天に祈りながらも、その祈りの方向が悪霊や悪魔の世界に向かっている。
それらの存在も同じことで、自己中心主義、結果至上主義の極みが悪霊悪魔たちだからだ。邪教と思われる信仰を持っている人たちを見ると共通しているのは、考え方が自分を中心とし過ぎているために利益誘導されやすいこと。要するに、自己愛が強すぎるのだ。
確かに、基本は、自己を中心で考えることしか出来ないし、結果をないがしろには出来ない。しかし、これにも良い子、悪い子、普通の子が有る。ただ、普通の子でしかないということだ。
あまりにも悪い子が増えすぎている。
良い子とは、自己中と結果主義の対極に有るということだろう。
世の為人の為、自分が得ることのできる報酬にこだわりなく働き続けることなのだろう。聖徳太子、吉田松陰、坂本龍馬、イエスなど、歴史上の偉人たちは、自分の命も顧みることなく働いた。

聖書の中にこんな言葉も有る。
隣人を愛せよ。汝の敵をも愛せよ。主なる神を愛せよ。
信仰が無ければ、神の子、仏の子と言えない。

神仏を実感するためには、死後の世界の有無が関係する。
しかし、色んな人に質問しても、あの世など無いだろうという意見が大多数なのだ。
神仏や天、創造主など考えることは不可能であり、自分を中心にして考えるしかない。その挙句、悪例悪魔たちに心を支配され、悪事に加担させられる世界を、だれが良い世界だと見るだろうか。
この宇宙に創造主たる神がおられるなら、そんな世界を創造した意味がなくなってしまう。地球という星を統べられる神がおられたとしても、過去何度も成熟した文明を海中に沈め滅ぼしてきたように、今回も落第点をいただくしかないのかもしれない。

「正しい信仰心」を取り戻す以外に道は無い。

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