陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2022-12-28

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問題、課題を考える

これまで、いろいろ考えてきて色んな課題があったけれど
それは結局、何だったかと考えて整理すると、
個人の心の課題が最初に有り、次に、それが元になり、国家、社会の運営が有る。
それが個人の生活に大きく影響し、個人の生活に影響する形で循環しているということだろう。


結局、個人にしろ国にしろ、心の問題が背景に有るだろうが、具体的には政治と経済の問題のようだ。心のハンドルと、それが実際に、どの方向にハンドルを切るかという形で政治と経済に現れてくる。
見えない心の問題が、目に見える、実際の生活に反映され、私たちの生活を包んでいる。

心の問題は、宗教や道徳の問題であるだろう。
政治経済の問題は、それが下敷きになってこの社会を造っているということだ。

社会

この社会を考えるときに、やはり一番の要素は「経済」ということになるだろう。この経済問題が、個人の心の問題にも関わってくる。
経済問題、政治問題を考えるとき、一番分かり易いのは立体的に見ることのできるピラミッドの図だ。

この底面に有る4つの項目の翻訳、表記は様々に変化するけれど、この課題の所に何を入れるにしても、結局は、「仕事」になるだろう。
人生そのものが「仕事」でもあるだろう。
人生全般を仕事と考えると、その仕事が生み出しているものがある。
夫婦関係、家庭づくりにしろ、人の心の与える愛の発露が「創造」されていく。創造されたものは、何らかの「価値」が有る。その価値が具体化される過程で「報酬」として喜びが有る。その喜びが「仕事」を支え、拡大再生産をして循環する。そして、形としてのピラミッドが大きくなる。もしくは、縮小するかだ。

基本 ピラミッド

今までのピラミッドの図では、政治の問題を考えるのに一般企業などをイメージしての翻訳だったので判りにくかったと思うが、この翻訳なら分かり易いだろう。

陰と陽で表現するなら、「創造」と「価値」ということになる。
どんな仕事にも「創造」が有り、その「価値」は、評価される。

人生ドラマという一生を考えても同じであり、必ず何らかのモノを創造している。私は陶芸という創造を実際にやっているが、それ以外にも目には見えないものも想像している。何らかの事故などの時に、一瞬の中に走馬灯のように映像が見えたという話を聞くことが有るが、どうやら、死後の世界では、その人生ドラマを全部見せられるようだ。

映画やテレビドラマの中で、その主人公を見て評価している自分自身も含めた観客がいる。その思いと行いを見て感動する場合も有れば、その逆のこともある。その出演者が創造している思いと行いには、プラス評価も有ればマイナス評価も有る。そのプラスとマイナス、どちらが多いかで全体の評価が決まるようだ。この評価で天国にそのまま行けるか、それとも地獄という世界でマイナス評価の部分を補講のような授業を受けてクリアしなければ天国には行けないという。
確かに、あの世が有るとすれば、そのような法則が働くだろうことは想像できる。通常は、死んで自分の人生ドラマを見た本人でも納得できるようだ。だが、補講に出席しない落ちこぼれもいるようだ。
地上に執着して居座る者、開き直って悪の道を行く者、どうやら、あの世もこの世の諸事情とそれほどの違いは無いようだ。

私自身も、死後の世界は、おそらく有るだろうと思い生きてきたけれど、良い子悪い子普通の子という物差しで考えれば、悪い玄明さんだったことはいっぱい有る。果たして、私の人生ドラマが、再上映され何度も見るに堪えるものなのか、それとも、一度見たらゴミ箱に捨てられるモノなのかわからない。しかし、実際のドラマでもあるように、人生の大半をいい加減に生きてきたとしても、最後で改心し、感動的な人生を送る場合もある。素晴らしい作品として世界中でロングラン上映される場合もある。終わるまでは判らないということだろう。

ただ、多くの人々の人生ドラマが観るに堪えなくて、ゴミ箱に捨てられるようなものになり、それが世界中で起こるようなら、そのゴミ箱すら評価されず、この世界自体が消し去られるようなことも有るだろう。
アトランティスとかムーとかの文明が消し去られたのは、おそらくそのようなことなのだろう。再度、文明を一から創りなおすことを命じられることも有るだろう。

この、今という時代には、アトランティスで生きた人たちが、再度生まれ変わって生きているという。同じ過ちを繰り返さないように努力しているといわれるが、今、世界で起きているその可能性は少ないのかもしれない。

私のような者が観ていても、次第に悪くなっている。
何がどのように悪くなっているかということを具体的に示すことは困難だが、結論から言えば単純なことだ。
良い子、悪い子、普通の子という考え方をしたときに、悪い子の割合が増えているということだ。今でも、私の中に良い子の面と悪い子の面が有る。間違っている面もある。

世界的指導者にも当然あるけれど、悪い指導者の比率が上がってきているようだ。もちろん、そのような人たちが政治のトップに出てこれるということは、それを選んだり押し上げる人々の中にも「悪い子」の比率が増えているということ。

自分自身で考えても推定できるのだが、悪い子の比率が増えている原因はある意味はっきりしている。

自己中で結果主義だということ。

しかし、これは、ある意味、誰にでもある要素であり当然なことのように思えます。ただ、何事も、過ぎても少なすぎても悪になるのと同じです。今、蛇行を繰り返しながら、結局は、過ぎているのです。

その自己中で結果主義になってしまう原因は、間違った世界観に有ります。5W2Hの図の世界観が、小さな文字で書かれている世界観です。
唯物論であり、無神論です。

あの世もなく神も創造主も居なければ、主なる神は、当然ながら自分です。この思い込みが強ければ強いほど自己中になります。そのれには程度差が有りますが、かくいう私でも100%の信仰心が有るかといえば疑問です。そうは言っても信仰心は有ると思っています。しかし、その程度は他の人と同じの可能性もあるのです。
あの世、霊界を否定する人でも「信仰心はありますか?」と聞けば、多くの人は「ある」と答えます。
そして、結果を重要視することは間違ってはいないからです。
ただ、陰陽的に言えば、二つの視点が無くなっている。
両の眼で見ることが出来なくなっている。
くどく何度も言えば、原因と結果、結果が次に及ぼす原因、他者と自己の関係、二つに視点で立体的に見ていないことです。

今問題に上がっている、グローバリスト、DS(ディープステート)、ネオコンなど有りますが、まさしく、この範ちゅうに入るはずです。
自分の、自分たちの利益のためには、周囲の幸不幸は無視して考えず、戦争さえ積極的に起こし、自分たちが利得を得ようとする。もちろん、ここまで欲深くなかっても、自分の目先の利得に振り回されていると、同質になります。その悪なるDSが暗示をかけてコントロールしやすくなります。

アメリカの大統領選挙にも中間選挙にもその影響は大きく、自己中で結果至上主義の人たち、大手メディアの人たちは、自分たちの利得を邪魔する勢力や存在を悪として排除します。
もちろん、その利得の中には、自己の感性で同情していることも含まれます。それを壊すような存在を悪と見ます。
例えば、トランプのメキシコ国境に壁を造ることもそうでしょう。アメリカ国民を不法移民から守り、麻薬や犯罪組織の流入を防ごうとしているのに、彼を人種差別主義者のように決めつけて非難します。
また、日本でも同じことですが多額の金額をばら撒くことにしても善と見ているようです。私も給付金を受け取っているので偉そうなことは言えません。財政出動で現金を支給することのマイナス面を考え、本当なら減税すべきところがいっぱいあるのに、既得権益となっている所には手を付けようとしません。

要するに、政治レベルでも個人レベルでも、信仰心が消えて、自己中、結果至上主義が蔓延して、悪い子のレベルが上がっているのです。

何にせよ、根本は「信仰」です。

画像の説明

常に二つの眼で見て、更に神の視点から見る努力が大切だということ。
神の願い、創造主の思いを忖度すること。
額に有るといわれるチャクラで考えること。
これが大切だと思う。



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