陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2022-12-17

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税金のこと

済にしろ何にしろ専門用語がふんだんに有る。
そのたびに何だろうと思いストップしてしまう。
煙に巻かれてしまうのだ。


経済の議論を聞いていても、政治の議論を聞いていても、
今回の防衛費を絡めた増税の話にしても、議論の場に専門用語が出されると、そのことで頭がストップしてしまう。
本当に厄介なものだと思う。

今回の課題も単純に要約すると、経済問題だろう。
お金の調達方法であり、お金の使い道だ。
要するに、これは、個人の財布の問題と同じことであり、本来は難しいことではないだろう。

それが、難しいことに感じられる背景には何が有るのだろう。
おそらく、順番が逆になっているからではないだろうか。
順番で言えば、個人の場合、所得があり、その所得の中であらゆることを賄っていけば良いのだが、それが不足がちだと何らかの対策を立てなければならない。

方法は何個かある。
①アルバイト、もしくは副業で稼ぐ方法が有る。

②自分の持っている資産を売り払う方法も有る。

③借金すること。返すことが前提に有り、利息、もしくはそれの相当するリターンを提示する必要が有る。暗黙のうちにリターンを含むような貸し借りの関係もある。国防費などは、これに当たるのかもしれない。

ただ、この借金には、多くの人が経験しているだろうが、踏み倒されることもある。最初から踏み倒すことを意識している詐欺的なものも有れば、やむをえないこともある。
なんにせよ、本来は稼ぎの中で賄うべきものではある。

ただ、政府の場合、特殊なのだろうが、通貨発行という仕事が有り、
そこでは、ある意味副業をしているようなものである。
多くの人から信用を受けて、経済流通の道具としてのお金を発行できる。
その権利を使い、信用を維持することが出来れば、自らの手で莫大な資金を作り出すことも出来る。

政府でなくても地域でも、企業でもなんでも、何らかの信用を背景に持ってくることが出来れば、独自のお金を発行できる。
そのお金を使って経済を活性化することも可能だ。
商品やサービスが、その域内で盛んに流通させることが出来れば、その域外から資源材料の調達が不必要な場合には、循環のスピードと量を上げることが出来れば、莫大な経済効果を生み出すことが出来る。
その域内の人々の収入が増え豊かになるということ。

経済

このことから国家レベルのことを考え経済を活性化することは簡単だろう。
しかし、資源にしろ技術にしろ、一つの国で完結していることは無い。
ただ、鎖国をしていた時代でも色んなものが交流していた。

江戸時代でも、300年続いたということは、それなりにまともな経済運営がなされていたのだろう。しかし、幕末には運営が腐ってきたために明治維新が起こることになったと思われる。

要するに、現代でも同じことで起こっている。
どちらの時代も、基本は運営側が自己中になり、全体や他者をないがしろにした為に信用を失い行き詰まったのだろう。

今、政府は信用できるのだろうか。
MMT理論なども加わり財政出動が盛んに言われ、追加の国防費も国債発行で借金すればよいという意見もあるが、さすがに、それはコロナ禍の出費で膨大に膨れ上がった借金を考えれば、限界に近いという思いもあるのだろう。利息の支払いだけでも大変でその為の国債発行にもなっている。
ちょっとした信用不安が加われば、積み木崩しのように支えていた、色んな信用も崩壊しかけない。
そうすれば、終わりかもしれないのだ。

この信用というものは、確かにあいまいで、うその情報にも踊らされる可能性がある。そのスキを見せないためにも、信用を担保するようなビジョンを見せる必要が有るが、さすがに、過去に積み上げた対外資産の多さなども最近の貿易赤字の膨らみようでは、いつ迄もつかわからない。

基本は、個人の財布と同じように収入(陰)と支出(陽)を調和させる必要が有るだろう。
借金するにしても、神様から見て妥当だと判定してもらえるようなものであるべきだ。
今の現状は、政府組織の在り方も、財務省の有るところ取れる所から取り上げるような泥棒のような資金集めの方法も、NHKのような押し売りを認めていることも、神仏から見れば問題だらけだろう。
まず、身の内から奇麗にする必要が有る。
借金を重ねても、生活を正さず、周囲のご機嫌取りでばら撒いたり、いかがわしいことに入れ込むようでは良い方向に向くわけは無く、経済規模が大きくなることは無いだろう。

とにかく、言い訳、ごまかし、言いくるめが多すぎる。
それもこれも、何もかも、原因は、神仏からの客観視が出来ないせいだ。
他者だけでなく全体の視点で観ることが出来なくなっている。
自己中で、結果主義で、神の眼、仏の眼、天の眼、閻魔様の眼、それらを無視し、自分の眼だけで見ているためだ。

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