陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2022-11-04

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積極財政と緊縮財政

要するに積極的にお金を使うのか
それとも、慎重にお金を使うのかという違い
これは、政府の財政問題ですが
個人や家庭、企業にもある課題です


ただ、違うのは政府の場合、自分で(道具としての)お金を造ることができるということ
(玄明は、お金に換えることのできる備前焼を造ることができる)
国家レベルでの場合と個人レベルの場合と大きく違うように見えますが
翻訳しなおせば、国も個人も違いがありません
基本原理は一緒です

基本は、今持っっているお金を使い、今後、どのような手を打つのかということだけです
今、手元にお金がないなら、どうやって造るかだけです
今手元にあるものを売って作るか、働いて造るか、
それとも、どこからか借りてくるということ

国レベルでお金を印刷したりして造るということでも
実質は、どこからか借りてきているという翻訳をしなければなりません
地下資源とか技術とか、すぐにお金に変換できるような資産を持っているという信用か、
それとも、昔からため込んだ信用か、将来に期待が持てるという信用か
国民や政府に対する信用か、何らかの信用、信頼がなければ
お金を借りて来ることも
造るにしても、印刷したりして造ったお金に信用がありません
要するに、個人でもそうですが、お金(価値)のやり取りには信用が不可欠です

MMT論者がいうように自国通貨建てでの借金では、財政破綻しないといえども
財政破綻に向かう道は残されています
ただ、一般個人と比べると相当の猶予が与えられているだけと見るべきです
個人でも同じですが、いったん信用を無くしてしまえば
その信用を取り戻すということは至難の業です
結局は、個人の財布と同じとして見ておくべきです

要するに、どれだけ資産が有ったとしても、その使い方を間違えばその家計は没落していきます
いろんな話が耳に入ってきます
宝くじが当たりビックリするようなお金が入ったことで、仕事も辞め放蕩にふけったことで破産し一家離散した話
空港の用地買収で大きなお金を手にしたことで、結局は持ち家も手放すことになり借家住まいになってしまった話

結局は、このMMT理論も間違えば同じことです
積極財政を推し進めるだけで良い訳はないのです

個人と同じように、調達できるお金の使い方如何にかかっている
政治家も官僚も、それぞれに良かれと思ってお金の使い方を考えています
しかし、将来、価値を生まないことに多額の資金を使えば貧乏になります
無駄に思えるようなことでも、将来、価値を産むものであったら、後で豊かにもなるでしょう

やはり、基本的なことを抑えながら
投資のようなリスクのあることには慎重であるべきです
そして、政治家の数が多ければ良い判断ができるとはかぎりません
一票の格差とかが問題になっていますが、数ではなく質の格差を考えるなら
多ければ多いほど混乱を生み逆効果にもなります

大きな政府と小さな政府の問題もありますが、同じことです
多くの政治家には多くの公務員も必要になるでしょう
多くの国民の欲が絡んできます

政治家が国民の利益の代表として選ばれるなら
当然、バラマキのベクトルが働き、パイの奪い合いになるでしょう
要するに、宝くじに当たるとか、山林が売れてお金が入ってきたとかと同じような現象が国民に及びます
あぶく銭が入ってくると、人々の勤労意欲に水を差してしまいます
国民を結果的に豊かに、幸福にすることはありません

緊縮財政、財政均衡主義の問題は、とにかく資金の集め方に難点があります
大きな政府組織を維持するために、多くの資金が要るのでしょうが
そのために消費税増税したりはするのですが
国民のために減税しようとはしません
結局、今の国民と同じなのでしょうが、自己中心となり
自分たちの得ている権益は手放したくないようです

一刻も早く、今の政府組織、選挙制度を見直して
国民の勤労意欲を刺激するようにしていかなければ
間違いなく日本は終わりです

いつまでも過去の資産で食いつなぐことはできません
坂を下り始めると早いでしょう

今、円安が来ています
まさに下り始めているのでしょう

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