陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2022-08-08

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無宗教と有宗教

世界には、大きく分けるとこの二つの世界観がある
無宗教とは、あの世も神も信じない世界観
有宗教は、あの世も神も信じている
たとえ、オウムや統一教会や創価学会のような邪教であっても、
あの世が有り、神仏なる存在はあると認識している
ただ、その中身の問題だ


このように大きく分けて、どちらの世界観に舵を取るのか
まず、これで、人々の向かう先が決まって来る
このハンドル操作で、無宗教の人たちは、あの世に旅立つことが困難になる
無いと思い込んでいる以上、無い世界に向かうことは不可能だからだ
結局は、あの世に旅立てず、この世、この地上世界で幽霊や地縛霊となって徘徊するしかできない
あの世は、普通、目に見えない為に、無いものとして考えられる
恐怖心も有っての事か、無いものとして扱いたいようでもある

その次に、ハンドル操作が問題になるのが、善悪の問題だ
良いか悪いかの問題だ
何にでも良い子悪い子普通の子がある

たとえ、無宗教者でも、この差は存在する
地獄的か天国的かといった価値判断があるが
人々は、本能的にその違いをかぎ分けるが、それでもなお、地獄的な方向にかじ取りする輩は居る

有宗教者でも同じである
地獄的か天国的かで見れば、峻別できるのだろうけれど
悪い宗教を選択し、その方向にハンドルを切る人達は、自己中であり、結果主義者

自己を中心として価値判断してしまうために、オドシとスカシが効果的だ
教団に入信し、多額の献金すれば、自分もご先祖様も地獄の世界から救われるとして

言うとおりにしなければ、地獄に落ちるという
これは、心の法則というよりか、教団の利益のみ、教団の自己中の価値観のみで運営されているために起きること
要するに、騙される側も騙す側も、同じなのだ

良い宗教には、心の教えがある
それも、自己中の世界観でなく、神仏の創造された世界に基づいた心の法則だ
天国的か地獄的か、その価値観を当てはめるなら次第に見えて来るけれど
自己中で、自分たちが得ることが出来る幸不幸だけで考えるなら
この判断も狂ってくる可能性がある

無宗教は、最悪の邪教ではあるが
有宗教の中でも邪教は、間違いなく、地獄的な世界を生み出す
無宗教と有宗教の中の邪教が協力して、良い宗教を無意味なものにする働きがある
これは、地獄と言われるところに住んでいる悪魔、悪霊たちがやっていることだ

この悪霊や悪魔たちは、間違いなく、自己中で自分の利益のみで考えて行動している魂たちだ
この近くに住んでいる魂群には、天狗とか仙人という人達も居るという

要するに、創造主の作られた、この宇宙の中で
主体なる存在の自己を拡大して、自分たちの支配できる世界を拡げようとしている存在たちだ

ただ、この存在たちも、神はその存在を許しておられると思われる
道を踏み間違えた子供をも愛おしく、善良な子や孫と同等に見守っておられる存在がある

この宇宙が、進歩を目指す以上、途中で間違いを犯すことは織り込み済みなのだろう
しかし、反省し、舵取りの仕方を学び直すことが出来れば
まじめで善良だった魂たち以上に、その器の幅を広げることが出来ると考えられているのだろう

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