陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2022-07-22

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宗教政党の限界

私は次のような図を使い常にアンケートを取っている。
その結果は、圧倒的に左側の意見が多い。
この現象は世界中同じのようだ。

死後の世界


参議院選挙が行われた。
今回も幸福実現党は、国会に議員を送るどころか、比例での獲得票が減っている。
各候補者の街頭演説を聞いても、その中身は素晴らしかった。
今までの中でも最高だったと思う。
それなのにである。

その原因は、この表が示してくれているのではないだろうか。
投票に足を運んでくれそうな人の大半が左側の世界観であるなら票の獲得は不可能になる。
右側の世界観であっても△レベルでは難しいだろう。

しかし、創価学会、公明党の場合はどうだろうかと考えると、この宗教は分かりにくい。
何を信仰し、どのようなあの世観を持っているのか、正直に言う人が少ないのでうまく掴めないのだ。
ただ事実として分かっていることは、御利益信仰になっているのと、一般大衆の中に根を張っているという事だ。宗教組織というよりも政治組織と言った方が適切かもしれない。
ある種の共同体となっており、選挙運動には定評がある。

ここで余計なことを言ったしまうけれど、邪教と思えるような統一教会にしろ創価学会にしろ、政治家と癒着する傾向が有るということ。その教勢を強めようとして政治家にすり寄る。逆に、政治家たちも票の獲得の為にすり寄っていく。
これは、昔、キリスト教が各国で国教となってから、世界中で植民地を拡げる時に宣教師が入り込みキリスト教を広めるということと、植民地支配を拡げる利欲が絡んだ事とフラクタルだ。その結果は、世界中に悲惨な結果をもたらしてきた。

確かに政治と宗教が癒着するとろくなことにはならないけれど、これも悪い宗教と悪い政治の場合である。キリスト教自体が悪いわけではないが、豊臣秀吉の時もその悪質さを知ってキリスト教を禁止したことにも表れている。日本が西洋列強の植民地にならなかった原因の一旦は有ると思われる。

要するに、悪い宗教は現世利益に走る。
悪い政治は、目先の成果にこだわり、一般大衆も目の前にぶら下げられるニンジンに振り回される。
おちろん、その宗教に入ることで良き結果につながらなければ無意味だろう。
しかし、原因の所を見ようとしないで、自分たちが得られる成果ばかりを見ることで狂ってくる。

陰陽の見方からすれば、悪い宗教も悪い政治も、目に見えにくい陰の部分を無視する。
政治で言うなら、政治の仕組みの根本的な考え違いを正す必要があるのに、そうはならずに目の前にニンジンをどうやってぶら下げるかという判断しかしない。
要するに、為政者も国民も結果主義、御利益主義に落ち込んでしまい不幸の再生産を続けている。

幸福実現党の成果には、様々な事が原因には有るだろうが、今の単純なる多数決で決められる選挙制度では、深く考える人たちは少数派だけに難しい。
更に図で示されるように、死んだら終わりだと思い込んでいるような人達にとって、あまり先の先を見通そうなんては思わないだろう。
子や孫の時代のことまで考えられないのだろう。
ちょっと先のことまでしか考えられないのだろう。

葉隠れの教えだったか、「武士道とは死ぬことと見つけたり」という言葉があるが、
あの世の事、死後の世界の事に関わる死生観が当時は常識だっただろうから、自然に長期的な視点で考える事が出来た。
先の大戦でも、自らの命を犠牲にしてまで無謀な戦いに挑み、日本の未来の為に働かれた。
半分は強制されたような面も有ったのかもしれないが、結果として積極的に自己犠牲の精神が発揮されたのだろう。

結局、図の右側の世界観、死生観が有ってのことだ。
現代は、その反対である以上、目先の事で人々は判断し動く。

この世界観、死生観が、真実は右側だと私は信じているが、一人でも多くの人がこちら側に寄っていただかない限り、幸福の科学の高邁なる精神を基本理念としている幸福実現党が支持を得ることは出来ないだろう。

死後の世界が有り、来世、来来世が有るという世界観が無ければ、私でも目先の利益で動く。しかも、宗教などクソ食らえだ。
宗教政党になど票を入れるなどもってのほかだ。
分かり易い御利益を提示してくれなければ、支持など出来ない理屈だ。

多少思慮深く、幸福実現党の政策に妥当性を理解できたとしても、宗教には、どうしても胡散臭さが残る。それは、悪い宗教があまりにも多すぎるためだろう。

どちらにせよ、昔のように神仏の存在とかあの世の存在が当たり前に有るだろうという世界観を持ってもらえない限り、幸福実現党の国政進出は難しいだろう。

そのためには、霊言だ。
大川隆法総裁の書籍の中で、様々な霊言が書籍として出版されている。
公開霊言でビデオにもその様子が収録されている。
コーランにしろ聖書にしろ仏典にしろ、霊言がメインである。

この幸福の科学の「霊言」をより多くの人に知っていただき、そして判断していただくことだ。
霊言の拝聴の為に、お金を取るなど、消費に税金をかけて消費にブレーキをかけていることに等しい。
もちろん、大川隆法総裁の霊言の値打ちを理解している人達にとっては、無料で公開など出来ないという気持ちも有るだろうが、しかし、これも一種の結果主義なのかもしれない。
全人類が、神様の子供、神様の一部であるならば、惜しみなく広げることで多くの魂たちの未来を救うことになる。

そうでなければ、神仏の願いが現実として広がるためには、天罰としての天変地異が起こり、人々がその異常さに気づき神仏に祈るような気分にならなければ難しいかもしれない。
しかし、先の東北の震災でもこれは天罰ではないかといった意見に対して多くのパッシングが有った。
あの事件以上の天変地異が必要になるとすれば、人類の歴史を神の願われる方向に大きくハンドルを切ることは難しいのかもしれない。

「十字架の女」という黙示録的な小説も出版された。
第7文明の終わり、これは仕方が無いのかもしれないが、しかし、この文明の流れの推移の中には大いなる学びが有る。
本当に驚くような事態が起きている。
人々の悟りの低さが、アメリカ大統領選挙でも、コロナの対応でも、ウクライナ紛争でも、各国の経済対応にも、様々な所に出ている。
悪霊、悪魔たちが働きやすい精神状態を多くの人達が持ってしまっている。

私自身、昔、心の修業が出来ていませんとして入会を待機されたころの事を思えば、そのような人のことをとやかく言う資格は無い。
とにかく、出来ることを、一歩一歩進めていくしか道は無いようだ。

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