陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2022-02-17

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大きな政府 と 小さな政府

大きな政府と小さな政府、どちらが良いのか議論がある

どちらがベターなのかという問題であるが、比較するべき点が二つあるだろう
規模が大きいか小さいかの問題が一つと
色んな仕事をするのに、公的な組織でするのが良いのか
それとも民間でやった方がよいのかという考えが有る
要するに、数量的な問題と、質(価値)の問題の二つがある


数量的な規模の中には、人材的な規模と
使う資金の規模と、二つの要素があるけれど、同時に質(価値)の問題とからんでくる。

そして、質(価値)の問題では、その価値判断の主体がどこにあるのか、
どう評価するべきなのかという問題があり、とても難しい。

整理すると、陰の要素である「質(価値)」の問題と
陽の要素である「量(数)」の問題が絡み合っていて、とても難しい。

この政府の大小を考えるにあたって
三橋貴明氏の発言などは、逆の意味でとても参考になる。

彼は、公務員を増やし住民サービスを充実させる必要性を説いている
国債発行で政府支出を増やし、公務員の数を増やすことで、その人たちの消費活動で消費も増え、国民の所得も増えて、困っている人達を公共サービスによって救う事が出来ると言う。

今、いくら国債発行して借金してもデフレで金利も高騰せず問題ないのだから、政府が支出するだけでこのコロナ禍を救う事になると言われているようだ。
国債発行による金利上昇を危惧する声には、その歯止めをインフレ率2%ぐらいを目安にしておれば大丈夫だという考えだ。

要するに「質(価値)」の問題をクリアするのに
その善悪、その価値判断にインフレ率を持ってこようとしている事になる

そのインフレ率は、本当に、その行為の善悪の判断に寄与するモノなのか?その判断基準がいい加減なものであるなら、そのツケはとても大きいものになるだろう。

その増やされた公務員の質の問題、サービスを施された国民にどのような価値が加えられたのかという問題、これらの価値がもしも逆方向に働くようなら、その負の仕事はどのような結果をその後にもたらすのか。
これらを考えずに人々の受けが良いからと言って、簡単にやってしまう事には大きな問題を含んでいる。

私は、基本的には小さな政府を支持している
何故かというと、人材を多く抱えている大きな政府では
その仕事の内容に価値を含まない、むしろ逆価値を加えるような
無駄な仕事をしてしまう恐れが大だからだ。

これは、公務員、官僚だけの数だけではない
政治家の数も無駄に多ければ逆効果だ
政治家は、国民の利益の代表だとして全国から住民数に比例して割り当てられているのも問題だろう。
数が多ければ良い政治が出来るわけではない。
質の問題を考えず、数を多くし過ぎると停滞を招くだけだろう。

しかも、無駄で、無価値な仕事に多くの税金を使うということは
経済を良くすることが出来ずに借金が膨れ上がるだけで
どんなに裕福だった国もそれを繰り返すようなら貧乏国にすぐ落ちてしまうだろう。

その証明は、すでにされている。
政府の借金が1200兆円を超えても、日本経済は良くなろうとしていない。
国民の所得は下がり続けGDPも増えているとは言えない。

政府が大きな資金を使い借金を増やしても効果を上げていないのだ。
結局は、大きな政府か小さな政府かの問題以上に、質(価値)の問題がある。
明らかに大きな資金を使い多くの人材を使っても、その質が悪ければ
借金をして行政サービスをすればするほど逆効果になる

要するに数量(陽)の問題より質(価値)の問題が大切なのだ
しかし、質(価値)の判断が難しい
次に、それについて考えてみよう。

その価値判断の主体がどこに有るのかが問題になる。

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