陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2022-02-11

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無神論、唯物論の愚かしさと、強さと、恐怖

死後の世界
この世界観の違いは、とても大きい
左側は、中国共産党や北朝鮮の世界観で国を挙げて確信し
その世界観に基づいて政治、経済、軍事、教育などを執り行っている


日本でも同じ世界観の人種が育っている
死後の世界は無いだろう、創造主や神仏など在るわけが無いと思い込み、信じている人達も増えている
非科学的であり迷信だと思い込んでいるようだ。

ただ、日本の違うところは、たとえ迷信と思い込んでいても
日本の歴史に培われたものが残っているせいで、良心と言われるようなものが考えの中に入り込む
仏教、儒教、神道的な価値観に影響されたものが残っている
その磁場のせいもあるのだろうか、リベラル的な思考が加わる

無神論、唯物論であっても、神や仏、天からの視点での優しさという感情が加わるのだ
その為にこの左側の左翼的世界観であっても
良識ある善人で在りたいといういう方向で生きることになる

ただ、非常に恐ろしいことは、この世界観が確信となり、その思考が核心となるとどうなるか
神、仏、天なる価値観は、次第に消え去り
自分の価値観、自分の善悪、自分たちの利害を中心にすることになっていく
そうなるとどうなるか

中国や北朝鮮のやっている事を見ればよく分かる

あえて言うまでもないことだが
自分たちが勝利を収めるために手段を選ぶことは無い
論理的に考えれば判ることだが、
その中に良心とかいう甘い考えを入れるなど有り得ない

その良心が残っている人達も取り込んで
自分たちの利益の為にとことん利用して協力させることになる
世界の親中派の人たちは、その仲間に引き込まれることになる
その世界観の中での価値観に簡単に教育されてしまうのだ。

この世界観の事を考えた30歳の頃、想定問答を自分自身の中でやったことが有るが、死んだら終わりの世界ならやりたい放題のことが出来る。
あの世のない世界の方が分かり易いし簡単だし、法律とか世間の目をかく乱して自分の利益を最大限に持っていける。

開き直り、命を懸けて結果を出そうと思えば、犯罪にだって手を出せる
仮に行き詰っても、そこで人生を閉じる覚悟さえあれば、なんだって出来るのだ。

ただ、この図に有るように二つの対立する考えを白紙に並列に書き出し、現実→事実→真実→真理と整理しながら考えると本当のことが浮かび上がって来る。

どう考えても左の考えは間違っていて、どんな感じかわからないけれど死んだらそれで終わりということは無いだろうと思った。
霊界のことなど興味も無く分からないけれど、自分の心の中で良心の声が働いてブレーキをかけているようなことは、その声に従おうと思った。

その後、様々なの経験を通して、右側の世界観が真実だろうと思うようになってきた
今は、確信している

ただ、その感覚を今一度この白紙の上に載せて考えると非常に不思議ではある

その核心に至った情報は、証明されてはいない
ただ、信じているだけなのだ

よって、「信仰心」が非常に大切なのだとわかる。

逆のモノを信仰する自由が与えられているが、必ずその先には
その延長線にある世界が待っている。
同じような人たちが集まる世界は、どうであるのか
考えさえすれば判ることだ

そんな世界に私は、住みたいとは思わないし
我が子や孫がそのような人間になるのなら、とても悲しく思う。
そんな子孫を応援することはできないだろう。

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