FrontPage/2022-02-10
給付金は与える愛なのか?
給付金は与える愛なのか
経済の問題、お金の問題を「与える愛」「奪う愛」で考えると見えてくる
公明党が強く推して実現した18歳以下の人達に10万円の給付金
他にも支援金と称していろんなお金が大量に配られている
MMT論者たちは、政府の支出は国民の所得になり、この異常事態の中では国民を救う事になるとして、とことん実施するべきだという
しかし、それらの施策が本当に国民の為になるだろうか
確かに資金繰りに困っている企業や家庭にとっては有難い事だろう
ただ、次の図で考えるなら、支援金にも良い支援と悪い支援とが有る
政府支出が借金からされる以上
その借金には、負の力が潜んでいる
自国通貨建てでの借金を国債発行で行い、金利も上昇することなく市場が買い支えてくれているから大丈夫だといっても、必ずそのマイナス要素の力は蓄積されている
あるきっかけで、金利が上がり始め自国通貨建てでの借金が出来なくなる事態は想定されるだろう
ドルとかでしか借金できなくなると、ドルは日本で印刷できない以上ある時期で返済に困って来る
当然、金利は上がるしかなく日本の経済はガタガタになる
どんなお金持ちでも、浪費を繰り返していると、やがて資金(信用)が底をつく
「浪費」とは、悪いお金の使い方だ
もちろん、良いお金の使い方もある
良いお金の使い方をしていると、資金(信用)は循環して減ることも無く
逆に資金量(信用)は増していくことも有る
愛にも良い愛(与える愛)と悪い愛(奪う愛)があるように
良かれと思ってやっていても、神の眼から見ると悪い部類に入っている場合が有るのだ
公明党(創価学会)、政府のやっている資金提供も同じで
バラマキと表現できるようなものは、悪いお金の使い方だ
「奪う愛」を実施しているのに、それに気が付かないで平気でやっている
票目当てで見返りを求める気持ちが強いと、どうしても奪う愛を実践する
それも仕方が無いというか、ご利益信仰となり下がっていて、もらう事(結果)ばかりを願うような組織ならそうなるだろう
悪い循環が始まるのだ
公明党は、国土交通省の大臣の席を手に入れて、利権の一番発生しやすい省庁の甘い汁を吸わしてもらっているのかもしれない
その延長線上で、創価学会、公明党の党員はお金をもらえる事で納得し、財政的には悪い循環が始まる可能性が大なのだ
そして、悪い給付金、悪いお金の使い方をしていて、一番の問題になるのは簡単に言うなら「甘やかす」ことだ
甘やかしにも良し悪しがある
依存心を強くして自助努力の精神を無くさせるようだと問題である
人々に深く考える事をさせず、愛を奪う事になる
結局、何が一番問題なのかというと
与える愛、奪う愛と言っても
良いお金の使い方、悪いお金の使い方と言っても
良い補助金、悪い補助金といっても
要するに善悪の問題なのだ
その善か悪かの判断を、一体だれがするのか
無宗教、一神教の考えを持っている人達は、自分が、自分たちがそれを判断していて、チェックする姿勢が弱くなる
創価学会は、本来、仏教であり多神教的なのだが
ただ、元になっている日蓮宗は、その日蓮の激しさのせいなのか一神教的な面が強い
多神教的になると争いは少なくなるが、強さにおいては弱くなり
仏教発祥のインドでもイスラム教の一神教が入ることで追いやられてしまっている
日蓮と言え、ムハンマドと言え、キリストと言え救世主ではあったけれど予言者であり、究極の神ではなかった。
どうしても偏った個性を人々は理解できず、それぞれに自分たちに都合よく解釈してしまう。
確かに神と言っても難しいだろう
今まで伝道していて、友人の中で自分自身が神だと思っているといわれたことも有るが、どうしてもそのように解釈してしまう事はわからないでもない。
であるなら、神という翻訳を「全人類の親」とするべきなのだと思う
この全人類の親の立場で
お金の使い道を考えるべきではないだろうか
MMT論者にも、財務官僚たちにも、この視点が無い為に判断を間違える
本当の意味での信仰心があるかどうかが問われている
先日「メシアの法 講義」のお話の中で
世界の対立を見る時に「信仰のある国」と「信仰のない国」という戦いだという見方だ大切だと言われたと思う
要するに神と悪魔の戦いが今始まっているという事
国内問題でも、この神の善悪と、悪魔の善悪とが戦っており
悪魔の善悪に加担するものが異常に多いのだ。